ユーモア・笑い

いつぞやのこと。とある人と話しながら、なんか違うよなぁと。それで似たような私が似たような印象を抱いた人を記憶に思い浮かべて横並びにしてみたら、どうにも自分には引っかかる皆さんは素直に笑ってないのに気がついた。

笑っていても素直でないってなに?なのですが、笑いがいじわるなんですよね。「へぇ、コイツこんなことしてら、ヘヘ(やや邪悪)」みたいな人物評価の優劣と重なってるんだろうと思う。相手の言うユーモアも、自分に対する優劣評価なんぞとつなげてしまうから、笑えないことが多いんじゃないか。そういう人物が面白い事を言ってみても、嫌みや皮肉になっている。それは、またどうですかねぇ???それじゃあ、トゥゲザーでハッピーできないじゃない!?ってところを感じていないのだろう。*1

ベルグソンの笑いのお話のように、社会的な矯正作用ってな文脈で考えとるからいかんのじゃないの?

笑い (岩波文庫 青 645-3) の商品写真  笑い (岩波文庫 青 645-3)
著者: アンリ・ベルクソン
出版社: 岩波書店

と思ったり。*2

笑いなりユーモアについては、よく取り上げるベイトソンの説明が好きで、

精神と自然 ― 生きた世界の認識論 の商品写真  精神と自然 ― 生きた世界の認識論
著者: グレゴリー・ベイトソン 翻訳: 佐藤良明
出版社: 新思索社

精神の生態学 の商品写真  精神の生態学
著者: グレゴリー・ベイトソン 翻訳: 佐藤良明
出版社: 新思索社

昨晩、引用しようと思って探したものの見つからなかったのが残念ですが、なんにせよユーモアというのは前提なり、推論なりをずらしてみて、ずれているんだけど、それはそれで確かに成立するよね〜という状況。そうなると相矛盾する二つの状態が成立しちゃう、これを笑ってごまかす!ってな話だったと思います。

スラップスティックの大家が、ずらしてずらして考え続けて、ほんとに頭おかしくなっちゃったということは、コメディアンや漫画家でもたまにあるようで、

http://en.wikipedia.org/wiki/Spike_Milligan
頭おかしくならなくても、正確・精密にものを考えないで、ずれてっちゃう癖はでるのでなんですが、とは言え、矛盾のある世の中で笑ってごまかすこともできないのもおかしくならーねーと。*3

素直に笑えない人が、なんだか暗いものを抱えているのはまぁ笑ってごまかせないからなんかなぁと。また時に、「こっから先は、触れてほしくないから曖昧にしてんだねえ」なんて思わせることが多いのは、矛盾な状況を自分で笑えずに居るから、明らかにしたくないんぢゃないの?と思ったり・・・なんて書いていて思い出しましたが、とある人が、「ケロロ軍曹の目は、馬鹿にしているみたいで嫌い」と言ったのにびっくりしたことがありました。*4

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かくなる次第で例題二つ。





素直に笑えずに、しかも、「こいつら馬鹿言ってる・・・」といった優劣系の暗い感情がおこったら、やっぱりなんかの病気なんだろう・・・

意外にいるんだな。

*1:http://www.j-cast.com/2009/10/21052053.html

*2:2016年某日注:単に相手より自分が優れていると思いたい、そうでないとむしろ不安だ・・・といった黒々とした執着が渦巻いている人なんですね。だから、相手が馬鹿なことをやって自分が責められる、「あぁ嬉しい」と思って顔がにやける。この嬉しいも純粋でないです。自分がなにか優れたことをやって優位に立つのではなく、相手に「失敗しろ失敗しろ」と念じる、相手の失敗等々マイナス点しか響かない感性・・・

*3:そうそう、そういうずれには気付くけど、笑い慣れてないという人も別に気にならない。気になるのは悪意の感じる笑いということか。

*4:「読者も、作者も、登場人物も笑いの対象なんじゃないの?」と答えてはみましたが・・・