歩く

ときどきぷらぷらと10km、15kmくらい歩いてしまいます。大概、混んでいる電車に乗りたくないなという時で、6km/hくらいで歩けるので、小一時間でも結構な距離になり、少し調子に乗っていれば気付けば10kmもすぐ。

リュックにパソコンだ本だと入れて、大体重量4-5kg。本来少し前にあるはずの両肩を、両の肩ベルトが後ろに−肩甲骨の間が狭くなる様に−引っ張るのが難儀です。それに力で抗しないようにしていて、その癖、うまいバランスを見つけてないせいか、これがその内に肩の痛みとなります。その為に肩ベルトを広げずにつないでおく小さな帯があるとは言え、本来肩ベルトはたすきがけにすべきだよなぁと思ったり。

ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと (大型本) の商品写真  ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと (大型本)
著者: トーマス・マークほか
出版社: 春秋社

プロメテウス解剖学アトラス解剖学総論/運動器系 第2版 (大型本) の商品写真  プロメテウス解剖学アトラス解剖学総論/運動器系 第2版 (大型本)
監訳: 坂井 建雄, 松村 讓兒
出版社: 医学書院

↑こういった本で、痛くなる場所の構造を押さえたり・・・先日も十分承知していたつもりが、左膝の関節の位置がイメージとずれていて呆れました。間接は曲がるところで、力を生むのは筋肉なんて基本も頭で判っていても、体で判っているかというとなんとも。

特に前者。ピアニスト向けなんてありますけど、全然一般の人向けで、スポーツ系のストレッチだの、「腰が楽になる健康体操」なんてやるより全然いいと思うものです。←まだまだ全然うまくできてない

*1

*****

そんなこんなは兎も角、先日、はてな周りとは別所の知り合いの九州某所出身の若い友人と話していたら、

「いや、東京が実に歩きにくいと分かりました・・・」

「んん???・・・その様子は、単に混んでいるってことじゃなさそー」

そこで某君、お答えになるに

「そうなんです。そりゃ東京は混んでいて歩きにくいですけど、人を除けないし、人の歩いているラインに入ってくるし、、、」

で、ピンと来ました。自分の観察と似ていたからです。

「それ、わかるわかる。各地方がどうだか僕は全然知らないのだけど、遠くから人を認知してこれが自分のラインだよってやらないよね。で、こっちの歩いているラインにふっと入ってきて、それじゃぶつかるだろうと思うけど、こっちが除けないでいると、目を背ける

「そうそう!、目を背けるんですよ。全員が全員でなく、勿論こっち(東京というか首都圏くらいに考えてよいかも)でも先に除ける人も居ますけど、歩き難くする人多いですよねって、そう思いました。」

「携帯見ていてなんてのじゃなくって、そもそも前見て、まっすぐ歩いてないよね。それ言うと、前後左右の注意も足りないよね、、、って、欧米行くとまぁ身なりがそこそこの一般市民って感じの人なら後ろに人が居れば、ぱっと除けることが多いけど、こっちはそうでもないもんね。でも(その若い友人の)実家の方は違うんだ、それは面白い話っす。」

「そういうの何なんですかね、、、、」

「う〜ん・・・でさ、中には、相手が先にそのラインに居たから、自分が邪魔したって分かってるのも多い訳じゃない」

「ほとんどそうでしょ」

「それで目を背けて、除けてくれるだろうみたいな。やましいって分かっててやってるんだよなぁ。」

「そうそう、そういったことで、実家に帰った時、もうちょっと分かりやすく譲り合ってるなぁと感心したんです。」

こういうことも、鄙ならどこでもそうかとも言えず、地方性があることでありましょう。それに観察者の状況の偶然だの、サンプルの少なさだのあるものですので、半信半疑以下でどうぞ。

*****

以前、ヨーロッパ一人旅で、結構面白かったのが、街によるこの手の問題の違い。これも、あくまで私の経験でサンプルが少ないので、国民性にもっていくのは危険ですが(ご参照:http://d.hatena.ne.jp/sergejO/20081124/1227453341)、まぁこんな感じだったのです。

  • ロンドン:毛並みのいい人は結構遠くで人を認識して除ける。場末はそうでもない。

  • フランス(フランス&南仏片田舎):ライン譲る譲らないで、勝負掛けてる男が結構居る(特に女連れのとき)。これは分かりやすいけど、そうではなくて、なんとなく「こんにちわ」という挨拶といった風にふらっと入ってくる感じも、たまにですがあったのがなんか変な印象でした。除けてんのに「逃げないで〜」みたいに柔らかく入ってくるの。
  • ドイツの方々:もう次の目的地しか見てない。建物から出てくると、男女問わず、次の目的地にまっすぐズバーーっと進むので、こっちが急ブレーキで除けてました。こっちのことが分かってるのか分かってないのか、まっすぐ見てるとしか見えないからなんじゃと。
  • オーストリアのウィーンとかザルツブルグとかしかいってないですが:ここも結構人を認識して除ける感じで、歩きやすかった。

国民性かどうかは兎も角、またこういうものも私の妄想かも知れませんから、その点はよくよく御注意被下度。とは言え、こういう些細な動作って、実は生活の全般的な行動なり考え方の癖もあらわしてないかな、、、とつくづく思うのですがいかがでしょうか?再三繰り返すことながら、私はこれこれです、なんてステートメントしていることより、よっぽどその人を表していると思ったりもします。

*****

ずいぶん前ですが、国内某新聞の一面下段の広告上あたりに大概あるたわいもないエッセイに*2、混んでる電車で頑固につっぱっている若者を見たという話がありました。それで

「そうやって、つっぱってないで波にまかせるのも大事だ。肩肘はらない生き方が楽だと判る。」

なんて言うのですが・・・幾ら何でもアホかと。*3

そりゃ、頑として動かないのはいくら何でも融通が利かないし、その人に当たる人が痛すぎるので宜しくない。けれども、波にまかせていても大崩れにならないのは、柱に押し付けられている人や、つり革持っている人等々が大変難儀しているからです。波にまかせるってのは、自分だけ楽で、縁の下の力持ちまかせでしょ?自分のことしか考えてないってのでは、実は頑としてゆずらない人も波にまかせる人も、そっくり似ているのでは?

正しくは、なるべく自分の足場で他人に寄りかからずに身を支えるということであって、もうどうしようもなく混んでいる例えば田園都市線の早朝ラッシュのような状態でなければ結構それはできる。とは言え、路面の傾き、カーブの具合、それこそ電車の走行音に注意しながら、膝だ股関節だをゆるやかにかなり気をつかわないといけない。そういうのを放棄しているのが、たやすく他人に寄りかかって、波にまかせてるだけなんじゃないの?なんて思ったものです。*4 他人に寄りかかるのを前提にひじなどを他人に当てやすいように気をやっている人なんても存外多いので呆れます。「その方が楽なんだから」というのがミクロの自分の視点であって、マクロで全体を見てもそれでいいのかどうか・・・なんて言い換えても良いものか。

自分も聖人君子とはほど遠いので、己を神棚に上げ奉っての物言いですが、こんなささいな反応も実際日頃の行動・思考と変わらん気がします。電車くらいならまだしも、一事が万事、マクロ的視点、全体の知覚・考察なんてものもやりがたいので、自分のことだけ考えればそりゃまぁ楽なんですが。

・・・なんて思うので、酔っぱらい&寄っかかり多数の満員電車に載るなら、家までさして遠くないなら、ついつい歩こうなんて思ってしまう・・・という円環をむりやり作って、本日のたわごとを終えますぅぅぅ

というわけで、おすすめのもう一冊。

Erewhon (Penguin Classics) の商品写真  Erewhon (Penguin Classics)
著者: Samuel Butler
出版社: Penguin Classics

*1:2016年某日注:視覚的に認識したからってさして変わらないと思います。かくかくしかじかと走っている筋肉がいま引っ張っているのか脱力出来ているのか、を感じること、それもあっちだこっちだ複数を感じることが重要。これらの解剖学的知識はそのために使うのないならあまり実際の体の運用には役に立たないと思います。
F.M.アレクサンダーが言う様に、解剖学の先生が見事な背筋できれいに歩くわけでもなし。

*2:あれほんとたわいもないですよね。その割にありがたがられていて不思議。今回の話は、てんせーじんごではないです。

*3:そこそこ売れてる文芸評論家が、とある子供の質問に絶句で答えろと書いている記事を読んだ時くらいにびっくりしました。

*4:座ってるのがまた、だらしなく座骨でなく尾骨重心で座って、短い脚を長く見せようと前に投げていたりなんて問題も・・・