非文学的日本古典案内 その5 黒田如水傳 子爵金子堅太郎著

本日の非分学的日本古典案内は、割と読み易いものです。わたしも活字になったものを気の向くままに読んでますから、まぁ簡単なものばかりであります。

本日ご紹介するのは、子爵金子堅太郎著 黒田如水傳。東京 博文館蔵版。

金子堅太郎と言えば、「坂の上の雲」をお読みになった方なら、ご存知のことでしょう。日露戦時にアメリカに行って、ルーズベルトと交渉した人物。

古書を探すときは、あんまりしょっちゅう行ってもこちらも元手がないので、偶に神保町、早稲田、本郷あたりを通りかかったら、ちょいちょい見るという程度。気になったものを買っておくというやり方であります。

この如水傳を入手したのは、そもそも如水がちょっと気になって、あまり最近の本を買うのも嫌だから、

黒田家譜 の商品写真  黒田家譜
著者: 貝原益軒
古書

の安いのを探していたときのこと。なんだか装丁が奇麗だな・・・と気になって、

20090418135129

奇麗でしょ?

近寄ってみたら、著者は金子堅太郎とあります。これは買わなきゃ!と大枚はたきました。

黒田家譜は、周辺事情も細々綴られ、また少々読み難いものですが、こちらの金子の如水傳は、如水の事跡にしっかり絞っていて、伝記としては読み易いので、結構おすすめ。

著者の前書きから面白いもので、ちょっと引用しましょう。旧字はところどころ新字体にしてしまってます。

黒田公爵に上つる書

公爵黒田長成卿閣下、余か祖先は閣下の舊領筑前國に在住し、累代貴家の微臣として、俸禄を享け、余も亦其の餘澤に依り生長したり、回顧すれは明治元年四月、余は年十六にして父を喪ひ、其の家督を相続せしか、幾はくもなく維新の戦争起りて、軍隊に編入せられたれとも、明治年の春、突然藩命を以て、隊伍より抜擢せられて、秋月に留学し、次て東京に遊学するに至りたり、然るに明治四年廃藩置縣の大改革に依り、藩廳より歸国の命に接したれとも、余は心窃かに期する所ありて,依然東京に滞留し、知人の許に寄食して、苦學せしか、一日閣下の祖父君長ひろ(博のヘンがさんずい)卿より召されて、米國留學の恩命を排し、閣下の父君長知卿に随いて、彼の國に赴き、滞米八ヶ年、法學を修め、歸朝後官途に就き、爾来三十有六年、各官に歴任し、或は閣班に加はり、或は樞府に列して、國務に參畫し、聊か微衷を皇室に致し、聖恩の萬分の一を報することを得たるは、皆是れ貴家の賜ならさるはなし。

余は此の如く、貴家の殊遇に浴せしものなれは、藩恩の念も亦切にして、夢寐にも貴家を忘るゝ能はす、頃来余は公務の餘暇を以て、貴家の始祖如水公の事跡を蒐集せしに、寛永の頃、貴家に於て編纂せしめられたる、黒田家譜を始め、其の他の諸書、概ね幕府を憚りて、其の真相を記述すること能はさるに依り、同公の揆亂反正の勳業は、往々湮滅して、或は誤謬の事實を、後世に傳ふる憾みなき能はず。

この倍ほど続きますが、日付は大正五年三月廿日。ご覧の通り、普通の文章ですが、わたしは是はやっぱり良い文章で、いや、非常に良いものだと思います。

今から旧字体に戻すのは無理としても(ほんとに無理かどうかは兎も角)、それこそ、なんで生長なの、、、成長って書かないといけないの?なんてとこだって面白い。

思い出せば、一ページ目は写真がありました。

20090418135130

一言郷土愛なんていってしまいそうですが、其の質がどんなものであったかいろいろ考えさせられます。

それで、まーこんなもの買って読んで面白いのか、、、ということは、もうひとそれぞれで何ともいいようがないのですが、如水だから面白いに決まってますので、云々せずとも良いものでしょう。

こういう本を読めば読むほど、じゃー伊勢だ源氏だなよなよした心情ばかり読めば繊細ってもんでもあるまい・・・なんて思って、「文学ってもの自体まぁ偏ってるなぁ」と。しかし、ご存知の通り、なかなか手に入らんのです。後は手に入り易い古典となると、しゅーきょーとか、人文思想系などなど、、、、それも偏ってるなぁと。

無論、わたしの嗜好も偏って居ります。

なんだか話が飛ぶようですが、吾妻鏡が文庫で簡単に手にできないってなんなの?なんて思ったり、、、ローマの古典読むよりゃ(少なくとも同じくらいには)重要なのではないか・・・なんて思う人が少ないから売れないから出ないとすれば、なんでしょう、それって。現代語訳ってのも匂いが判らないので、私なんぞには、原文・注解・試訳を並べてくれる講談社学術文庫形式が一番良かったり。*1

*1:家康の愛読書だ、、、というなら、そんな苦労人&成功者が楽しんだのだから、そりゃ読めばいろいろ知れることがある書籍と思うのが自然かな。。。