古くて新しい法則

みなさまご存知であろう方のコラム

http://sankei.jp.msn.com/science/science/090419/scn0904190332000-n1.htm

に出てくる“新しい”原理原則

集権的なリーダーシップが中央になくても、解決すべき課題に関する情報が共有されれば、その課題は自発的に次々と解決される

という言い方は、刺激を避けての用意周到な言い回しでもあって、こういうところもちょっとした戦術の苦労があるなぁと今更ながら感じました。

古来知られていた法則だからこそ、さまざまなものが隠されて来た。自発性を好まない連中は、だからこそ情報の全体像を示さない様に勤め、「われわれしかできないんだよ」という神話作りを勝負の肝としていた。

なんて言ったら角が立ちます。

技術情報は開示するけれど、その上ではごにょごにょがあるかも知れないから、どこまでのるかそるかは各人鋭敏にご判断をということですが、勿論、こんなの技術的な問題だけの話でなくって、、、と続けると尚更角が立ちます。

各人秘密をちょこっと抱えて飯を食うのは多分どうしようもないことなので、どこまでのるかそるかのバランスは実に難しいもの。「こいつ大きくなりすぎたな・・・じゃ、そろそろ支援はやめて、、、」という直感的判断も結構正しいんじゃないと思ったり、、、いや、違うときもあるか。まぁ難しいところ。

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せがーさんの先日の漫画が関連していて、

http://d.hatena.ne.jp/segawabiki/20090416/1239889492

は、明示的に示される、「誰々は答えを示せる有能な人物だ」を避ける為にやるゲームだから必要なのでしょう。

上述の法則の、解決すべき課題に関する情報が共有 に関連します。その状態を仕掛ける人物が、競争するプレイヤーの枠外のフェアな立場の人物でないとうまく機能しない・・・って言えるかも。

と考えれば、昔ながらの原理原則はきちんと作用していて、name of the gameが

集権的なリーダーシップとして中央で万事司る

ではなく、

いかに集権的なリーダーシップを見せないか・情報を総合して見えてくるゲームを見せないか

に、変質したって言ってもよいかも。

ただ、こう書いてしまうともうお判りの通り、こんなのペリクレスの時代からそういうもので、すっかり隠す人もいれば、戦術上やむをえず一部隠す人もいるし、さらけだしてどうだーの人もある。利害関係が大きいほど、なかなか真っ向からいけないものです。

隠しているものが善意か悪意かもまぁ見え難いもんで、詐欺師はニコニコと近寄るってあれです。レミングも「海に飛び込めば明るい未来がまってる」って先導されているのかも知れないし。

私は無能な馬鹿ですよplayが必要になるのもそんなことですが、そういう身振りも、目標の質・メンバーの質、互いの信頼関係等々で決定される・・・なんて話になるとややこしくって、言葉で云々するこってもない。

「そんなの狡い狡い!」っていっても如何ともし難く、どこまでの狡さを許容するか・・・・結局、ペリクレスが抱く遠い理想はどこにある?というところで判断するほかないので、そうするとますます、参加者としてのるかそるかは、賭けになってくる。*1

参加者側の賭けの技術ってのはなかなか難しくて、まだまだ語られたりない分野で、いまだに「長期的に見てようやく判ってくる」だから、まぁいろいろ失敗もあるのでしょう。

私なんぞのつたない技術は、日頃わいだんばっかりやっているようですが、金だ女だ以外の話にどういうセンスを持っているか、、、で、目の前の相手が公にstateした発言そのものではなく、その言葉遣い、話の角度の変え方、笑い方・目つき・熱中度合いなどの身振りなどを余程重視していたり・・・
後は、割と守備的だから、一時に賭けすぎない、余分な金で賭けるってことでしょうか。

勿論、上の方法が合っていたら、わたしももっとえらくなっているだろうから、はずれなんでしょう。

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*1:なので、会社なんかだと、「給料は生きて行けるだけもらってんだから、上に立つ器じゃないあんたはもう頑張るの止めなさいよ、、、判るじゃん、その器じゃないって」ということが多いですなぁ。社内競争に頑張る人が、社外競争でも強いってのはウソだと思う。