いえ、考えたのは私ではありません!!!
でも、オーケストラが好きであろうとなかろうと、われわれがそれぞれ考えるべきことであります。
わたしのところの読者の方は、はてなまわりを見る事が多かろうと思いますので、ご紹介。
◎プロオケの財政(大阪センチュリー助成金問題を振り返って)
http://ken-hongou2.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-ec7f.html
この中で紹介されている本、『芸術の売り方』も面白そうです。
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リンク先では、アフィリエートしていませんが、他人様がご紹介している物品など、特に一度お会いしたような間柄で、その人を通じて知ったのが“自分で自分に”あきらかなのに、「リンク。アフィ!売れるかも」とやる趣味は自分には持てないので、ここには貼りませんっ!(本業サイトで取り上げる時はやむを得ず別です。)*1
「でも、お金が必要なの・・・」と思ったときは、せめて副読本紹介などの敷衍化ではないか・・・
【増補改訂】 財務3表一体理解法 (朝日新書)
著者: 國貞克則
出版社: 朝日新聞出版
なんて思う者です。十分、露骨だと思うけど。
・・・ま、こういうのも昨日の心の内のなにかの起りと関係したり、、、
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お金の事なんて言ったら・・・なんて意見もでしょうあるけれど、ほんと享受する側としては、
- お金を使う
- 時間を使う
- 感心を払う
というのは、「なにか or 誰かに対する支持を選択しているんだ」・「自分の人生を選択しているんだ」と思うと、少々普段の行動も変わるものかも知れません。
よいものを、正当な値段で提供されているものに支払いたい、その際は、ほんとうにそれを作っている人にお金を届けたいというのは、誰しも思っていることでありましょう。
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も一つ関係ある様な、ないような。
すでに亡くなって久しい祖父が、ゆうに60なんなんを超えてからも、タダで入れる美術館なり催し物でいつもチケットを買っていて、
「おじいちゃん、なんでタダなのに買うの?」と子供心に聞いてみたら、
「自分が好きなもので、払えるのであれば、払うべきだよ」と。
「ふ〜ん」と聞きながら、返事はそれだけだったので、その後しばらく考えたものです。
祖父は電車もなにもタダはいやだとやっていたのは、気位の上にも懐具合はあったのでしょう。全員が全員いつでもそうせいというのは無理ですが、なにか一つ二つの分野で、毎回がそれがきつければせめて年に一度か二度でも、そんな支援をすることは良いことなのでしょう。
この一文を読んで、「なんだ全部タダで受け取っていたら、さもしいって言うのか」・・・と思った方の根性はきっとさもしいのだと思います。自分が困っているなら、堂々と受け取れっての。