世の中には・・・

その場で聞いても、なんら回答がないのに、書くといろいろ語る人っている。
ちょっと不思議だけど。
場所によって、人格が変わるとかなんとかは、あったって構わないんだけど、合うと「そうですか」「そーですか」「うんうん」なのに、書き物だと実は意見があり・・・というのは、
「その場で言わないと、その場は貧しいぞ」
とは感じる。*1
書き物だと、その場でお互いの言葉のキャリブレーションができないから、めんどくさい。
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先日感じた事だけれど、「1+1=3」と相手が言ったとしても、そこでぎょっと身構えせずに、
「なんでなんでなんで 1+1=3なの?このビールとこのビールを呑んだら、二杯のんだことでしょ?」
と、ちょっと聞いてみるというのがちょこっと重要だなぁ・・・とあらためて。
「わたしはわたし、あなたはあなた、でもちょっと一緒に話してみましょう、通じる事があるかも知れないし」とやっているのだから、折角だから、「それって、どういうこと?」と普通に聞いてみる。普通に聞けばいいのに、自分の中の優越感情を抑えられない・・・というのは、ちょっと醜悪っ♪
で、
「1+1=3じゃない、ボケ」
「お前こそ、判ってない。」
となって、離れてからも、お互い「あいつは判ってない」なんて言っている。
判りあえる状況じゃないのに・・・
勿論、理をつくせないこともある、それはそれでおいておく(他どうしようもない)。敢えて理をつくさないとか、理を尽くしたフリで詐欺ってるだけってのもあるけれど、そういうケースはまた別の話で。
なんにせよ、結構、日常では「“結論だけ言って、判れ”ってったって、無理でしょう・・・」と感じる場面にでっくわす。
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言葉ではうまく言えないということもある。説明できるかも知れないけれど、いまはうまく言えなくて、、、でもいいけど。
その場合、
「言葉ではうまく言えないけれど、例えば、これとこれを見ればきっと判るけど。もちろん、そちらの時間やお金の都合でやれなんていえないし・・・」
と思っているのは前提で・・・でも、その前提に「それができない限り、君は判ってないけどね」とまた、自分の優越感情を付け加えないと気がすまない・・・、ってのは、これまた醜悪だなぁ。
例えば、「自分がなんでそう感じたかというと、これとこれを見て、実はそう感じまして。で、その二つって、結構面白くってこうなんですよ。」って楽しそうに話をする人が好みだったり。*2
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「これとこれを見ないと、お前は判らない」
という場合と、
「わたしは、これとこれを見て、こう感じたんです。といいますのは!ちょっと聞いてね♪」
だと、同じ事をいっていても、底にある感情が随分違うと思う。
言葉のコミュニケーションの一つ論理階系が上のとこに、優越感情のゲームが据わっているとめんどくさいけれど、それを露骨にだすケースだけでなく、それに気づかないケースがこれまためんどくさい。
感情の起りは自分で消しましょう。「怒りたいのを我慢する」んでなくて、そもそもの感情の起りはなんで生じるの・・・というところで。*3
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ま、そういうイガイガを作らないと、いろいろ実感をもてないなんてこともあるようで、、、それまためんどくさいわなぁ
・・・以上、すべて自分を神棚にあげてのお話です!!*4

*1:「この人、観察だけしてんだなぁ」と感じる時は、暗澹とする。bedなら所謂マグロplayでしょ、それ。

*2:勿論、表面上そうだけど、実はいい加減な説明で、かどわかしたいというケースだって、山ほどあるでしょう。

*3:勿論、あったまくるってことは、よくあると思いますが、、、怒らねばいかんほどの状況って、普段はそんなないでしょう。

*4: わたしが茶化すケースは、「この人は、なにかの固さがあってなにかを積極的に言わない様にしている」と思う時か、「かわいいーわーこの子」の時かな???大人しいだけの方だったら、そういういぢわるなことしないよっ