非文学的日本古典案内 その4:鉄舟と両刃鋒を交えて避くるを須いず・・・の公案

2012.01.31付けご注意:
山岡鉄舟に関しては、一時資料があまりに乏しいのですが、元々のエントリーで取り上げた安倍正人編『鉄舟随感録』は創作部分が非常多いと指摘する研究がありました。
http://www.tesshu.info/abe.html
http://www.tesshu.info/ushiyama.html
伝記に尾ひれはひれは付き物とは言えますが、そうはいっても看過できない部分が多い。故に、何分一時資料を見る身分でないのでいかんともし難いながら、

おれの師匠―山岡鐵舟先生正伝 の商品写真  おれの師匠―山岡鐵舟先生正伝
著者: 小倉鐵樹(小倉鉄樹)
出版社: 島津書房

鉄舟居士の真面目 の商品写真  鉄舟居士の真面目
著者: 全生庵三世住職 圓山牧田

を取りあえずの正として、ところどころ取り消し線や注意書きをつけました。これらだって真偽の問題はあるけれど、およそ世の中の鉄舟逸話の元ネタである、そうです。
元々のタイトルも「豪商に神妙の言を聞く山岡鉄舟『鉄舟随感録』」から「鉄舟と両刃鋒を交えて避くるを須いず・・・の公案」に変えました。「豪商に神妙の言を聞く」逸話に傍証がなく、どうも胡散臭いつけたしのようです。
この一連のエントリー自体取り下げれるのも手ですが、それは勿体ないと思う部分もあって、かえってややこしい文章になってしまい相済みません。


昨今、さまざまな変化をみるにつけ、良い意味で、ブレずに、かつ、柔らかいというのが大事なのだなとつくづく思わされます。

「ブレずに、かつ、柔らかい」はダークサイドでは結構使われているようで、良い人にもぜひというものでありましょう。

そんな話が、

鉄舟随感録 の商品写真  鉄舟随感録
安部 正人 (編集), 山岡 鉄舟 勝 海舟
出版社: 国書刊行会

にございます。今現在、手に入り難いのが難点。ご興味があればぜひ古書店ものです。*1

この書籍、山岡鉄舟(天保7年 1836〜明治21年 1888)が残した文章に、勝海舟がコメントを下すというすぐれもの。およそ300頁弱の分量で、ざっくり2/3は勝のコメントです。維新の出来事から、鉄舟の信条、剣術の話等々、話題は多岐に及びます。

それで、本日ご紹介したい話は、上の書籍のp.249頁からはじまる述懐。有名な話(らしい!)ですが、結構曖昧で解釈の幅は幾らでもでてくるでしょう。都合良く読み取ることもできるので結構罪作りかも知れません。*2

「年九歳の頃、初めて剣法を久須美閑適斎に学び」はじめてから、さまざまな道場で修行を超えて、20年経ったある時、よって30歳も手前の頃でしょう。一刀流の達人 浅利又七郎義明と出会います。その出会い迄に門を叩いたのは、千葉、桃井、斉藤と言いますから、江戸の三大道場にも学んだ鉄舟ですが、この浅利の剣法はいままでも見た事がないと驚きます。

果して世上流行する所の剣術と大に其趣きを異にするものあり、外柔にして内剛なり。精神を呼吸に擬し、勝機を未撃に知る。真に明眼の達人と云ふ可し

多分、これをいかにも昔風の大袈裟な描写、妙に禅じみた言葉と思わないのがいいのでしょう。

定本 五輪書 の商品写真  定本 五輪書
宮本武蔵 著, 魚住 孝至 校注
出版社: 新人物往来社

剣の精神誌―無住心剣術の系譜と思想 (ちくま学芸文庫)  の商品写真  剣の精神誌―無住心剣術の系譜と思想 (ちくま学芸文庫)
著者: 甲野 善紀
出版社: 筑摩書房

にも、そういった話がよくでてきます。

それで浅利にはまったく歯が立たず、これはいかんと弟子になる。いわゆる剣術の修行だけでなく、座禅も試みて、京都は天竜寺の滴水に参禅して、あれこれ相談したようです。

滴水に禅理を説いてもらってから、鉄舟は「剣法と禅理とを合せ、其揆一なる所を細論す」、剣法と禅の教えとここが同じだなぁと細かに議論したそうです。すると滴水和尚さんが、答えるに、、、面倒なので簡単に言ってしまうと、

いちいち尤もだけれども、なんだか眼鏡を掛けてものを見ているみたいだなぁ。でも、眼鏡を使わずに見えるに越したことがないし、その方が自然でしょう。眼鏡の障害を取り去れば、望む剣法の深奥にも達するのではないですか?
(注:余力があったら、原文確かめてくださいね。)

と。そんな話の後に、「要は唯だ無の一文字のみ」という公案を受けて、そこからまた10年いろいろ考えますが、やはりよくわからない。そこで今一度参禅して新たに貰った公案が、*3

その際に、頂いた公案が

両刃鋒を交えて避くるを須(もちい)いず。好手は還って火裏の蓮の如し、宛然として自ずから衝天の気あり。

ですが、これが洞山良介のどうだなんてことは別にほっといて、意味がなんのこっちゃわからないけれども、続く話を見てみましょう。

さて、上の公案を貰って、これはなにかあるな・・・とまた思案すること三年。そこにとある商売人が揮毫を求めてやって参ります。

NHKの番組なら、「さて、今日の“この時、歴史が変わった”」というクライマックス。その商人の語ったことと滴水の公案を照らし合わせて、ついに求める剣術を手に入れるのです・・・*4

続きはまた次回! *5

*1:冒頭の注意書きにありますurlなどご一読の上で、留保付きでさまざま文献に当られんことを。

*2:冒頭の注意書きに書いた通り、以下に書きますことについて、『おれの師匠 山岡鉄舟正伝』、『鉄舟居士の真面目』に確認できない内容には、訂正や注意書きをつけました。

*3:ここ眼鏡云々の逸話も確認が取れないので消しました。『おれの師匠 山岡鉄舟正伝』、『鉄舟居士の真面目』では、無字の公案を貰ったのは、長徳寺 願翁となってますから、この辺りの安倍正人の書き方はmisleadingしやすいです。籠手田安定その他、鉄舟門人による二次資料を纏めて、考証だけ加えたものなど出れば良いのですが・・・

*4:この商売人の話が、『おれの師匠 山岡鉄舟正伝』、『鉄舟居士の真面目』に確認できない。2012年のいまの段階で、私には、やはりまだ「両刃鋒を交えて避くるを須(もちい)いず。・・・」がよく判らないで言うのもなんですが、商売も根本を問えば一緒のことかも知れませんが、この商売人の話は絡めないで考えた方が良さそうな気がします。

*5:さらっと見逃しそうですけれど、浅利の剣術が「果して世上流行する所の剣術と大に其趣きを異にする」というのも面白いことですね。さすがこれに至る名人は少ないということなのか、そもそもそれを目指す者が少ないのか。