批判を上手にできるって・・・

すでに他界している父方の祖父がよく言っていたのは、「日本人と言うのは批判が下手だ。なにか言われるとすぐにけんか腰になる。外国ならそこで軽いユーモアを挿んで云々・・・」なること。

外国ってどこ?とか、それって典型的な欧米と日本比較論で向こうだって、、とか、俺も俺の周りも違う!・・・とか言えると思うが、体験から言って、まぁ当たっていると思う。

とある文系の博士と飲みながら、とある学術発表会での話になって、それがなんとなく似た様な状況の話で笑いながらも、あらら〜と。

なんでそうなるか・・・というところに話を及ばすならば、話し手側・受け手側双方にいろいろ原因は見いだせて、これまたつきない話となりそう。

例えば、

  • 対象xのとある部分yがイケないかなって話だよね。でもぼくの意見は違って、いまの話の前提のnをmとすれば、こう考えられる。そっちの方がいっかなー

という話に過ぎないのに、話し手が「対象xがダメ」と全否定というか、存在そのものが要らないって感じで話すこともあれば、受け手がそう捉えることもある。勿論、お互いそう思っちゃうことも。

「全然ダメ」という言い方をする人が、結構理屈っぽいのだが、結局「全然ダメ」以上の情報がないからさっぱり説得されずに厄介だ*1ということは多々あるのー、疲れるのー

なんか根本的に物事に対峙する態度とか、人間観が違うよーな気もする。

変な話になるけど、12chでやってるおたから鑑定団と明らかにその元ネタのBBCの鑑定番組の違いを仔細に見て行くと、そういう違いが出て来そう。*2

そうそう感心したのは、BBCでやってた職人紹介番組で、それは藁椅子作りの職人だったのだけど、あんまりうまくってレポーターが感心していたら、

「いえいえ、ほらこうでしょ。こうでしょ。これだけなんです結局は。誰でもできますよ。勿論、細かいことを言えば、いろいろありますが、私も30年こんなことをやってますし・・・」

と。勿論、このサンプル一つでどうだとは言えないけれど、実は経験上こんな人は向こうに多そうな気がする。←向こうってどこだ〜

ロンドンで買い物していた時に、一生物のカシミアのコート買おうと思ったら、とある店のおじさんが、素材から何から滔々と説明してくれて、「実用性は乏しい。カシミアなら裏地だって柔らかいいいものにすべきだろ?普段電車で乗るにも使うようだったら普通のウールにして、頑丈な裏地にすべきだ。普通の人間なら:-)素肌にコートは着ないからね!気にしない。それで兎や角いうような連中とつきあっても、お前さんなら楽しいわけないだろ:-) 冠婚葬祭なんて特別の機会用なら勿論どうこうだけど、、、」とかなんとか。有名ブランドでも実は「あそこの素材は使い回しの再生素材で、そこなら実際に新しいカシミア。だから幾ら以上するんだ。だって、できたてのカシミアなら元の生地がこの長さで○百ポンドなんだから・・・」とか。

こういうのって日本の場合、“あがめるべき巧みの技”“おれが知ってるから”“そのブランドだから”などとブラックボックス化して終わることが多いと思う。ちゃんと説明してくれればいいのに、「人それぞれですから」で終わっちゃったり、「あの人はあーだからね〜」なんてしたり顔で言われるだけのことも多いけど、これも実はなにか同じ問題が根本にあるよーな気がする。*3

なんでブラックボックス化するか・・・という話がまたできて、消費者がそういう思考を受け入れ易いとか、供給側が、なにかにつけ部分的独占がしやすい、宣伝がききやすい社会なんてぐだぐだ話がまたできる。*4

ほんと個人的つきあいでも、すぐブラックボックスつくりたがる人って結構多い様な・・・他人が得してそうな話には興味持つ癖に、自分は in the ブラックボックス・・・

・・・とまぁ、このエントリーもいつもどおりグダグダになりましたけど*5、つまるところ、人間観の話を最後に見せて、結論らしく・・・なんて思いますと、

  • 私は私、他人は他人、だけど言葉のコミュニケーションで理解し合うことはできる・・・と思って話あおっか?

ってところかなと。『チャタレー夫人の恋人』のD.H.ロレンス David H.Lawrence が、持つべき倫理観とは・・・としてシンプルかつちょっとミステリアスに書いた物があって。

  • Know that you are responsible to the gods inside you and to the men in whom the gods are manifest. Recognize your superior and your inferiors, according to the gods. This is the root of all order.
  • To be sincere is to remember that I am I, and that the other man is not me.
  • The soul has many motions, many gods come and go. Try and find your deepest issue, in every confusion, and abide by that. Obey the man in whom you recognize the Holy Ghost ; command when your honour comes to command.

ひっくるめると、

  • 心には数多の神々(=信念)が居て、それは絶えず去来する。でもそういう神々もない人とは・・・

    自分のうちなる神々の声を聞き、相手のうちなる神々にも敬意を持て

なんて纏められるかな。。。

まー、それができたら苦労しないけど、それもやろうとしない場合が多く。政治的な問題なら兎も角、普通の対人関係なら、宜しく頼みますと思う他ないなーこれが。

複数のgodsであるのが、ポイント。でも単数のholy ghostが出て来たり。「柔軟で多様でも、ぬえの様じゃね、、、。そこになんか一貫性が感じられないと」って、微妙なところがでているような気がします。そういう微妙さを感じる人に会って話するのが一番楽しい。

しかし通常何事も、「俺がネ申」、「あなたがネ申」で、“複数”にもならなければ、“お互い持つ”にもならないなー、お疲れさまだな〜

・・・で、なんでユーモアが必要か、ですよね。

  • もしかしたら通じあえないかも知れないから、それを笑ってごまかしましょ

ってことでしょ?

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ちなみにそのロレンスの本は、邦訳がありますが、

アメリカ古典文学研究 (講談社文芸文庫) の商品写真  アメリカ古典文学研究 (講談社文芸文庫)
著者: D.H. ローレンス
出版社: 講談社

ロレンスの邦訳は意外と口調がぴったりこないものが多いと感じています。英語自体そんな難しくないので、

Studies in Classic American Literature (20th-Century Classic Penguin) の商品写真  Studies in Classic American Literature (20th-Century Classic Penguin)
著者: D. H. Lawrence
出版社: Penguin Classics

原書をおすすめしまっす。200ページ足らずで薄いし。ロレンスも「なんともいいかねないけど、文句は言いたい!!」と書いた本とも思えまして、原書で読むと、ところどころ声出して笑っちゃう本ですよ〜

p.s.:今日、某個人ブログのかき込みを見ていて、なんでこんなひどい言い方するんだろーなー。いや、これは単に育ちが悪いのかな〜などと思いながら、ぐだぐだなエントリーを書きました。お粗末様でした。

*1:「てめ〜ウゼー」って疲れるから控えてるだけなんだけど、、、

*2:いや、もうはっきり書いちゃうと、「こいつらこのぐらいの奴らだから」って考えないと、あそこまで下卑たコピーにはならんよな・・・と。それは当っているかも知れないけど、根本的に軽蔑がないとあーはならんでしょう。

*3:思い出した。とあるメーカーの靴がブラジル製のカジュアルと、イタリア製のちょっとシックなのがあって、アメリカのデパートで同じ値段。で帰国後日本のデパートで見たら、イタリア製が倍の価格。思わず店員にいじわる質問をして困らせたけど、「イタリアの靴は良い」信仰があるから、そんな価格付けているだけなんだとその時判った。この手のバイヤーのいい加減話は、イタリアのとある洋服屋でも聞いたけど、店主「私の店は小売店なんだから、これを作っている工場紹介するよ」バイヤー「日本なら倍で売れるからかまいません」なんだって。僕「これなら幾らまでしか払えないよね〜」店主「ボクもそう思うけど。でも大半は違うんでしょ?」ま、一つの事例にすぎませんけど。価格信仰とか舶来もの信仰が根強いとか、またここからいろいろ話になる。

*4:そんな経済的前提が、文化的習慣を作るみたいな切り込み方。こんなのそれを逆にしても、どうとでも言えるし、どっちがどっちと時々違うだけだと思うけど。。。なんて話に興味があったら、

ピエール・ブルデュー『構造と実践』の商品写真ピエール・ブルデュー『構造と実践』
著者: ピエール・ブルデュー
出版社: 藤原書店

なんて面白いと思います。

*5:いや、原因→結果の図式を一つ選んでシンプルに書けば、明瞭には書けるんですが、実社会は何事も相互関係なので、いろいろ思うとぐだぐだになるわけで、、、そこはこの素材にこれを混ぜたらこういう結果になったという類いのお話とは違うんでしょう。