プロフェッショナル仕事の流儀 宮崎駿のすべて を見て

面白い番組だった。宮崎氏が話す番組を見るのも随分久しぶり。

http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/080805/index.html

宮崎駿『出発点 1979~1996』の商品写真あの番組を面白いと思ったのには、遅ればせながら読み終えた宮崎氏のインタビューや対談、折々の機会の講演などを集めた書籍が手伝っている。ご存知の方も、既にお読みの方も多いと思うけれど、二冊出ていて、宮崎駿『出発点 1979~1996』『折り返し点 1997~2008』

この書籍を通じて、アニメーション制作や会社設立の諸事情、同業者の諸作品のみならず、社会、歴史、人 − 人と云っても、子供、大人、親、若者、老人などさまざまな面 − についての同氏の考えを聞いて、いたく感心した処だった。だから、ドキュメントにでてくるさまざまな場面を、(勿論自分勝手なものだろうけど)さまざまに意味付けして見られた。

同氏が仕事場で峻烈だという話は方々に聞くこと。あそこにはTVが入っていたので、あれでも実際はどうなのか、もしかしたら自分でも方々で言っている通り、もっと酷いものかも知れない。

TVを見ている限りさして理不尽には見えず、自分の最初の会社の上司にもあーゆー人はいたなぁと感じた。しかし、思い込みと想像力が紙一重で、宮崎氏のスタイルは細部に至るまで確たるものだから、一緒に働けば、次から次へと細かく指摘されて、それがえらく具体的だったり、時に反語的だったりして、自分で考えるのは大変なことになるかも知れない。

そんな事もあわせて、なんとなく孤独だなと感ぜられた。

もしかすると上述の通りで、まわりに対等な口なんて聞かせないのかも知れない。偉くなっちゃってまわりが距離を作っているかも知れない。ドル箱として扱われるだけでも、人付き合いがいろいろ嫌になりそうなもの。しかし、立体的なと言うか、同じ平面の広がりというか、言葉一つ、話一つとっても、ニュアンスを感じてくれる聞き役がいない様に見えた。TVに映った限りながら、「あのように周りにおっかなびっくり扱われたらこりゃ溜まらんな・・・」と。

・・・と同時に周りの人に正直に言わせたら、それはそれでいろいろあるのだろう、、、とも。これは難しいことで、あまりに簡単に言えば、結局、どこまで宰領を任せるかということなのかも知れない。

しかし、いずれにせよあーゆー人はきっと孤独で、だからこそ詰まらない大人より、子供を見てしまうのかも知れず。なんにせよ、話し相手は年を取れば減るのだし、自分で常に見つけないといけないのかも知れない。

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番組に関して惜しむらくは、あまりにクローズアップが多くて、もうちょっと全体の姿が見たかった。また、最後に「亡き母親」というテーマでまとめたのは、如何なものか。そういう類の人に訴えやすいストーリーを作り出す必要が本当にあるのだろうか?

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宮崎駿『折り返し点 1997~2008』の商品写真宮崎駿『出発点 1979~1996』『折り返し点 1997~2008』の二冊の書籍に今少し触れて置けば、方や600頁弱、方や500頁強の書籍ながら、止められずそれぞれ手にした日に徹夜で読んでしまった。

時系列順から云っても、内容から云っても、『出発点 1979~1996』が最初に読むには良いと思う。初期のころから、成功するに至るまで、アニメーターとして、監督として、どこまで作品に拘わるか、どう作品に拘わるかは大変面白いもの。興味の幅も大変に広いものだが、一つの場面の豊富なニュアンス、全体の画面から出てくる確固たる世界観は、その広い興味が細部をさまざまに作り込んでいるからだろう。

ヒッチコックにも「舞台セットくらい全部自分で絵を描けなければダメだ」という発言があったのを思い出す。

アニメーションを製品・サービス、監督を経営者、受け手の子供をユーザと捉えれば・・・そういう言い方自体がなんだか嫌らしいけれど、どんな立場の人にもいろいろ汲み取るものがある。

そういう言い方が嫌らしいと考えるのはきっと大事なことで、お客さんがユーザになってしまった時点でさまざまなものが見落とされるのだろう。

自分は随分売れてからは、宮崎氏の作品のファンではなかった。その理由に「結局、子供で商売してらぁ」ということがあった。しかしながら、宮崎氏が「子供で商売していること」に大変自覚的で、「だからこそ」とさまざまな努力をされていることは、著書を読んで多いに感心した部分の一つ。私が自分の無知で、ひどく誤解して居たと判った。宮崎氏が、受け手である子供がどんな子供で、どう自分の作品を受け取って、どう楽しんでくれるか、、、子供のおかれている環境や親のことまで、得意の妄想力も最大限に活用して考えているのは、書籍からよく判る。これならば、子供=ユーザ、カスタマなんてことにはなるまい。

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子供に関して同氏が繰り返す意見に、詰まらない大人が子供を詰まらなくする・・・というものがある。

だから、子供には手をかけずに、、、というとそれはまた違うのだろう。自分が放って置いたつもりでも、今や子供は有力な商売対象でもあり、さまざまな偏った環境が用意されている。自分がほったらかしても、知らぬ誰かに絡めとられるのが現代なのだ。

そうなると、良い大人がいろいろ経験させることが必要で、その勘所が難しい。今の状況に背を向けるだけでもいけないし。どこかで守りつつ、どこかで見放しつつ。怪我はさせるけど、大怪我しないように・・・しかし、子供は公のメッセージだけでなく、大人の言葉の端々、背中を見て、大人が気づいていないものだって学んでしまう、、、、では、どうすればいいのか。

宮崎氏がさまざまに考えて、実践して来たことは、書籍のあちこちに伺えて、それを崇めることなしに、しかし、素直に聞いて、自分の考えを組み立てることが重要なのだろう。

いずれにせよ話題は豊富な書物

ぜひお手にとられんことを。

2016年某日注:

宮崎駿ファンでジブリ作品はすべてご覧になっているという方はほんとにいらっしゃいます。繰り返し何度も見ていて、鑑賞眼も鋭いのに、ジブリ作品+映画ナウシカに限られる、という方も多くて、それはそれでちょっと勿体ない気が致します。それらの他にも名作が多いのでぜひどうぞ。

作者自身のインタビューの傑作。インタビュアーの渋谷陽一の爺さん転がしっぷりが癖があるけれど、作家の無意識を引き出していろいろ言わせていてすごいです。

風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡 (文春ジブリ文庫) の商品写真  風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡 (文春ジブリ文庫)
宮崎駿ロングインタビュー集第一弾
出版社: 文藝春秋

ハイジとコナンもぜひぜひ。エンタメ技法をコナンで極めたからこそ、漫画ナウシカ後半の思索や千と千尋以降の無意識の解放など別の道を切り開いて行く・・・。

未来少年コナン Blu-rayボックス の商品写真  未来少年コナン Blu-rayボックス
監督: 宮崎駿 出演: 小原乃梨子, 信沢三恵子, 青木和代ほか
バンダイビジュアル

かつてとった杵柄を相も変わらず「また見せて」と要求されるのは常に成長を望むクリエイターには悩みの種なのでしょう。YouTubeにあります2010年バークレイ大学?のなんだかの賞を貰っての公開インタビュー、これ長いけれど大変興味深いです。自分はいわゆるエンターテイメント作品は作りたくない、と明言しています。




戦車好き全開・・・という言い方はよくない。戦車から見た文明批評および「人間とはいかにあるべきか」。

泥まみれの虎―宮崎駿の妄想ノート 大型本 の商品写真  泥まみれの虎―宮崎駿の妄想ノート 大型本
著作: 宮崎駿
出版社: 大日本絵画

ナウシカの漫画は、あの後半5-7巻の展開は、わけがわからないだとか、ありきたりの善悪黒白一体の哲学にしかみえないのが普通でしょう。私も2010年くらいまでさっぱりわかりませんでした。なんで人間ドラマを陳腐な哲学にしたのだ、なんて感想でした。いまはまったく真逆で、あれがあるからこそ傑作と本心から思います。

ワイド判 風の谷のナウシカ 全7巻函入りセット 「トルメキア戦役バージョン」 (アニメージュ・コミックス・ワイド版) の商品写真  ワイド判 風の谷のナウシカ 全7巻函入りセット 「トルメキア戦役バージョン」 (アニメージュ・コミックス・ワイド版)
著作: 宮崎駿
出版社: 徳間書店

これが陳腐な哲学でなく価値あるものとわかってくるのは、こっち方面の探求をするほかないんじゃないか

弓と禅 の商品写真  弓と禅
著作: オイゲン・ヘリゲル
出版社:福村出版

不動智神妙録 (現代人の古典シリーズ 7) の商品写真  不動智神妙録 (現代人の古典シリーズ 7)
著作: 沢庵 宗彭
出版社: 徳間書店

いわゆるエコ思想でナウシカを語るのではまだいまひとつだと思います。自分の無意識の探求、文明・文化の与える言葉や記号という枠からの自由という問題、そもそも意識がなにを捉えるかといった問題。これらなんやかやがナウシカの後半には詰まっていますが、東洋哲学というのは、そこらを一緒くたにある状態に持ってこうという・・・実は運動で、そもそも坐禅しかりで体の訓練と思索を合わせてなすものなのでしょう。

ナウシカ後半の宮粼さんは、この辺りを自分の力で考えてあの作品に盛り込んだのがすごいと思います。