中学生からかな?2008年 夏休み用人文思想系の書籍案内です〜 2 of 3

お暑うございます。「なんにもないこの俺だけど、ただ叫ぶことだけはできる!」なんて考え方が結構ハタ迷惑で、世の中ややこしくするのかな・・・とふと思ってしまいました。独り言です。叫ばれたら、少なくともうるさいです。

中学生からかな?ないしは から!として、連日2008年 夏休み用の名作案内しております。

中学生からかな?2008年 夏休み用の割と古典文学名作案内です〜 1 of 2
http://d.hatena.ne.jp/sergejO/20080727/1217098632(ホメロスギリシャ神話、俳句、漱石、鴎外、ドストエフスキー)
中学生からかな?2008年 夏休み用の割と古典文学名作案内です〜 2 of 2
http://d.hatena.ne.jp/sergejO/20080727/1217130339(イヴリン・ウォートーマス・マン、ロレンス・スターン、スウィフトその他)
中学生から!2008年 夏休み用その他の書籍案内です〜
http://d.hatena.ne.jp/sergejO/20080728/1217214667(ハインラインヒッチコック宮崎駿、ピアニストのリヒテル)
中学生からかな?2008年 夏休み用人文思想系の書籍案内です〜 1of3
http://d.hatena.ne.jp/sergejO/20080731/1217495138(ベルグソン木田元の哲学入門、カント、ヘーゲル)

では人文思想関連の続きで、本日は二回目です。

本日は、17〜18世紀辺りです〜。ここのところちょくちょく書いてますが、ここら辺の時代の思想の重要性は、現代のさまざまな学問なり、社会思想なりなんなりの基礎的なものであることですが、そもそも「普通の人もぜひ読んでくださいね!」という姿勢で普通の言葉で判りやすさを心がけて書いています。みんなで賢くなりましょうというのが大前提。世界史で習った and/or 習うと思いますが、専門家でないとなんのこっちゃ判らない神学から脱したことが、社会変革と同時に起きていて、これが重要なところ。

がちがちの世襲でもうまくいかないし、そもそも誰か一人なり寡数の者にまかせるとそいつらがおかしいことしだしたら、トンデモないことになりやすいし、、、、そこで、「みんなでちゃんと考えて、話し合ったら、きっとうまく行くんじゃない?」という考えが出て来た訳で、そこで、皆がもろもろ考えるに当たっての基礎的なものをいろいろお話しましょうか、、、というのが、この頃の啓蒙哲学、、、なんて言っちゃっていいのかな?そういう意味では、マナーみたいなものでしょうか?

日本は結局、仏教用語なり、論語用語から脱して、高度な思想体系をなし得なかった − 町人向けの道徳哲学などはあったにせよ 。。。結構、この頃の西洋思想に類似するいろいろなアイディアは見つければあるのですが、結局、自分の言葉でそれを書けなかったことが、いまいちなのかも知れません。こんなこといっちゃうと、西洋哲学読んでも所詮借り物になってしまいますが、、、、なにはともあれ、そんなことが、いまだに続く本邦の非合理性、あまりに感性&ムード重視傾向、ルール無視の場当たり状況判断的、面子がどうこうな動物的コミュニケーション云々の原因なのかな、、、と思ったり。根拠ないですけど!

ではいつも通り前置きが長くなりましたが、参りましょう〜

 

デカルト『方法序説』

デカルト『方法序説ほか』の商品写真まずはデカルト。少なくともタイトルはみなさんご存知の『方法序説』ですが、ちょっと面白いのが、半自叙伝風な書き方であること。「これこれこんな知識や経験を得て、こう考えるようになりました」という進め方をして居ます。

最重要な話は、“盲信せずに、疑ってみて、検証してみましょう。これこれこんな方法で・・・”という科学的方法論ですが、その他にもいろいろ話があって、デカルトの考えを追って行くと、例えば、今の社会学や人類学などで考える、社会的・文化的に価値が相対的にされる、、、という話なども!*1

なんだ、おいらだって、そんなこと知ってらい!← 誰!?

と仰らずに、あったり前の話を確認してみて下さいませ!

なお、『方法序説』は上に書いた点があだとなって、話は明晰でも筋道がちょっとまどろっこしいのですが、その点、上の中公クラシックスには、『哲学の原理』も収められていて、こっちはすっきり書いてあります。

なお、生理学というか生物学というかそんな話がいろいろあって、これは当時の限界を示すものなので話半分に!

また、神というものがいろいろ役割を持っているのですが、「キリスト教徒じゃないから関係ないよ!」ではなく、一体どんなものを神と想定して、どんな役割を担っているのかな、、、などと考えて行けば、日本に住む我々にも納得できるなにかが見えるかも!?

理性、モラル、良心(仏 bon sens / 英 conscious)その他もろもろの良きことの原因といいますか、存在理由を、神にしてしまっているけれど、大事なのは、それが皆が持つものとして仮定されていることでしょう。*2

興味があれば、デカルト『省察』もどうぞ!似たような話と省いても良いのですが、いろいろ書き方が変わっています。

西洋哲学というのも、大概、言葉遊びの罠にはまって衒学化したころに、理系のこっちの話が好きな人が、なんとかしますね。

 

ジョン・ロック『統治論』

ジョン・ロック『全訳 統治論』の商品写真次は、イギリスのジョン・ロックの『統治論』。二部構成ですが通常後編だけが訳されています。(後編だけの翻訳本は例えば、これです)。左に挙げているのは全訳版。意図あってのことです。←価格が高いからじゃないよ!

第一部はフェルマーの王権神授説をくどくどくどくど x 1,000 論駁していて、第二部で、「ではどんな政府がいいかといいますと!」というお話。

王権神授説が間違っているのは当たり前だから訳さないのかと思いますが、このくどくどに付き合うからこそ、後半も判りやすくなるのかなと。第一部が間違っている現状の話で第二部が、「わたしの理想はこれ!」という話ですから、判りやすくなるのは当たり前です。

現在の民主主義政治の基本文献ですが、これが実に当たり前でもなくて、今更きちんと読むと目からウロコです。

この書籍について一言あると、大概、抵抗権の話で、それって抵抗したい活動家が根拠にしたいから???とか勘ぐってしまいますが、いきなり抵抗する前にいろいろあるだろ〜と思う通り、他にいろいろな話があって、これが面白いです。どういう資質の市民を想定しているか、理想はなんで、その為の政治的仕掛けはどうか?国内外にどういう社会状況を想定して、その為に我々の組織として、こういう政体がいいと考えて、、、などなどなど、感心すること仕切り。

ロックと言えば、『人間知性論』(全四巻。リンクは第一巻)なのですが、敢えて『統治論』を選びました。大体、『人間知性論』でなぜロックがもろもろの知識・考え方を説いたか・・・これが、実に市民たる者をかくあれかし!という話で、すごく実践的な書物!!!その辺りのことも『統治論』を読んでいればピンと来ると思います。*3

 

スピノザ『国家論』

スピノザ『国家論』の商品写真本日の三冊目はスピノザ『国家論』!これは、独裁政治、寡頭政治、民主政治のどれがいいかについて、非常にプリミティブに論じて行くという書籍。未完で終わったため、民主政治がなぜいいのか?ということは書いていません。ただ、独裁政治、寡頭政治について、“これこれが問題”とした事柄の解決策が民主政治なのだ・・・という読み方はできるでしょう。

スピノザと言えば、『エチカ』(岩波文庫で上・下二巻。リンクは上巻)ですが、なぜこの『国家論』を挙げたか、しかも、中古書籍しかないのに!!・・・これは、上述のロックと同じ理由です。

この『国家論』の中で、スピノザが考える社会の理想や人間像が出て来ますが、正直にその思想を語ったかが故に、社会から迫害を受けたその人生を重ね合わせて読んでいくと面白いと思います。淡々と論証を重ねて行く背後に実人生の困難がある。こう思って、『エチカ』を手にすると、なぜそれが実践的な倫理の書籍なのか腹で判ろうものと思います。

プリミティブな議論ですが、ロック同様目から鱗です。こういう言わば当たり前のところ、スピノザにしてもこういう風にしか考えてなかった部分こそ、結構現代の我々から抜けているところではないでしょうか?また、これが一国民主主義ではなく、国際競争の中にある一つの国を考えていることにも留意すべきと思います。これは、スピノザに限らずそうなんですが、結構忘れられていることかなと。

なお、『エチカ』もぜひお手に取られることを!いわゆる汎神論、関係のむすぼれの中で価値が生まれるという考え、また感情というものの考え方等々いろいろありますが、結構難しいです。私もいろいろはっきりしないところだらけですが、『デカルトの哲学原理』『知性改善論』『スピノザ往復書簡集』などを併せて読まれることを。ほんとうに素晴らしい考え方と思います。*4

『スピノザ往復書簡集』は見落としがちかと思いますが、これがかなり丁寧に自説を解説していて、私はかなり教わることが多かったです。

しかし、結構在庫切れ・実質絶版という状況が如何ともし難いところです。。。とは言え、古書店にも山ほどあるような気も致します。大江健三郎氏がノーベル賞を取った頃に「スピノザ読みます」と仰ったので、再販されたのですが、10年も経つとこういう扱いなんですね・・・涙!

 

セクストス・エンペイリコス『ピュロン主義哲学の概要』

京都大学 西洋古典叢書 セクストス・エンペイリコス『ピュロン主義哲学の概要』の商品写真本日の最後のご紹介!啓蒙主義の話をしてきたのに、いきなりローマ時代のギリシア人(らしい!)エンペイリコスの『ピュロン主義哲学の概要』

これは結構読むのが面倒なのですが、難しいと言うより面倒なのですが、なんと落ちのある哲学書なのです!

わたし面倒を押して、最後の章に至った時、かなり幸福でした。吹き出してしまいました。←ほんと!!

さて、真面目な話なんでこれを挙げたかというと、帯に書いてある通り、歴史的に哲学者のアイディア箱になっていたらしい重要書物だからです。ピュロン主義哲学とは、平たく言うと懐疑主義の哲学で、懐疑主義ならざるものをドグマティストとして、逐一「こんなことを言ってる人には、こうやって疑いなさい!」という方法がひたすら書いてあります。なんというか超長ったらしいライフハックとも言えましょう。

古代の『方法序説』と言えなくもないのです!

それで、アイディア箱になっているというのが、ほんと読むとびっくりで、「おっ、ここにデカルト、あそこにスピノザ、、、、なんとフッサールまで、、、なんだこりゃ」となります。それがまた、断り書きなしで見事なまでに『ピュロン主義哲学の概要』の一節の引用だったりすることが多々。これは読んでのお楽しみ、、、って、その前にデカルトスピノザフッサール等々、ある程度目を通していないと気づかずスルーしてしまいます。

あれやこれや「それはおかしいんじゃない?」と疑問を呈するばかりで、それも感心するものもあれば、「それは幾ら何でも難癖、、、」「ちょっと反論としては弱くないかな、、、」と、段々「この人フザけてんじゃないの?」と不信がつのるところに・・・その笑劇の最終章。これはそこだけ立ち読みしても、全然面白くありません!!←ほんと!

古代の方法的懐疑論ですから、真理が載っている訳ではない。答えを求める読み方はダメです。あくまで正しい答えの探し方。哲学、人文思想と言うものは結局多かれ少なかれそういうものだと思います。自分探しのための哲学なんてない。なにかにあやかりたい人が、勝手にそんな風に喧伝しているだけでしょう。

すっごく平たく言うと、TQCで「なぜなぜシートを使って、五回なぜ?と考えましょう」と似てますよね。それが結構実践的に有効な方法と言うことでしょう。

ここに出てくる方法も、単に相手をいいまかすだけに使うのか、なにを正しいとするか吟味する為に使うのか、そういった使用法は、すべて読者の見識によっていると言えましょう。

 

*****

 

以上、人文思想系の書籍案内の第二回でした!

過去の思想・・・なんてもう乗り越えたなどと思わず、ぜひどうぞ。上述のように、意外なほど今現在も実践的価値があることは、お読みになればすぐにピンと来ると思います。デカルトだけ、ロックだけ、と言わずに上の数名はそれぞれ読んでみるのがいいかなと思います。個人的な考えでなく、時代の要請があることは、そうしないと判りづらいかも。

では!

*1:神の存在証明にやっきになったのも、そういうことも手伝っているのでしょうか?

*2:つまり、それらがない輩はまともなプレイヤーに入るのか入らないのか?具体的になにを“良きこと”とするかは、いろいろありますが・・・

*3:『人間知性論』については、いろいろ細部を見て、煩瑣な哲学議論を始めてしまう前に、「市民がこの位できないなら、市民政治なんてなりたたん」と考えていた(であろう)ことに重きを置きたいものです。四巻というと多く感じますが、文庫の字も大きいし、そんなに分量はないと思います。

*4:できれば『神学・政治論 』もですが!上・下二巻でリンクは上巻