中学生からかな?2008年 夏休み用の割と古典文学名作案内です〜 1 of 2

夏休みですから、いろいろ読書の宿題も課されているかなと、、、いうところで、わたくしめが「これはほんとーに面白い!!」と思った物をご案内。

新潮の100冊、岩波の100冊と似たようなものですが、数はもっと少ないです。

古典をあんまり読んでなさそーな大人の方にもどぞどぞ。いろいろ読んでいる方にはそんなに面白いことはないでしょう。

まー、「古典読んだからってどーよ」と思わなくもないですが、全然読んでない人とは、これまた話が通じにくい・・・という実感があって、ちょっと仲間増やそーかな・・・という。*1

今回は文学系だけのリストですが、連日非文学系、映像系などいくつかお薦め傑作選を挙げます〜。読書感想の宿題があったって、文学だけってことはない!映画の感想書いても、うならせてやりゃーいー!



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さて、一つ目!

私の好きなとこで、ギリシア神話から。



ホメロスイリアス』・『オデュッセイア

岩波文庫 ホメロス『イリアス』上巻の商品写真全部で四巻。と言いながら、結構あっけなく読めるかと思います。

『イリアス』上巻下巻

『オデュッセイア』上巻下巻

西洋人の話には、文学に限らず、音楽だって、社会的な話だって、ギリシア神話がかなり拘わるもの。幼少時に『おちゃめ神物語 コロコロポロン』を見た世代ならばギリシャ神話には強いと思いますが(?)、あまりギリシア神話に詳しくない場合、入り口にどうぞ!

これも見方によっては、たわいない神代の叙事詩で冒険スペクタクルですが、結構、当時の感情も変わらないなーと、ところどころの忠義話が結構良かったり、奇妙なサイドストーリーがなかなか面白かったり、いろいろ楽しめます。

「いきなり四巻はちょっと!」と思われる方、他にも読んでみたいという方には、拙音楽ブログの記事ですが、

 (2007年11月20日)カストルってなにをしたのだっけ、、、と考えてしまう方に — ギリシア神話書籍の推薦です!

もどーぞ。



●阿部しょう人『俳句—四合目からの出発』

阿部しょう人『俳句—四合目からの出発』の商品写真“しょう”の字は竹かんむりに肖です。「日本の古典でなんでこれ〜」と思わなくはないのですが、あえて暴論で行ってしまうと、古い文学で「面白かった!!」って結構ないんですよね。。。勿論、「つまらない」のではないのです。なんというか、「(にこにこして)面白かった!!」より、「(うるうるして)あはれだった・・・」っていいますか。敢えて暴論ですよ。

わたしは国文学の独特の詠嘆調が苦手。やっぱり、隠遁者の余技って感じがしてしまう、、、から、非文学的日本古典案内なんてものを書いているわけであります(先日の記事が第二回です。http://d.hatena.ne.jp/sergejO/20080721/1216627036)。滅びてもいいのよ〜というポーズがどうも・・・←敢えて暴論ですよ。戦記物・武辺物でさえ文学的に手が加えられていくと、そういう感性が入ってくる。生に近い物だと、むしろ創意工夫・生き抜く努力に溢れていたり。。。

この書籍は、素人俳句を取り上げて、こーゆーことが月並みなんです!と、小気味よく切りまくる。頑固ジーさんが気焔を吐くという感じ。詠嘆調批判のところも私の好み。

普段、自分で俳句作る作らないなんて関係ないです。俳句を作る作らないに拘わらず、ものを見る感性についていろいろ考えさせられてしまうと思います。

他人の口調に「なんだコイツ“上から目線”かよ!」と気になりがちな方にはお薦めしません。*2



森鷗外渋江抽斎

岩波文庫 森 鷗外『渋江抽斎』の商品写真もう一つ日本のもので、森鷗外渋江抽斎。写真は岩波文庫版、この他安いところでは中公文庫版もあり。

ご存知の方も多いでしょう!これなんてことない話ですが、言葉がいい!なんでもない事件をなんでもなく書く。それなのに良過ぎ!!!どこかで確かドナルド・キーン氏が話をされてましたが、「これを英訳しても詰まらないのです、、、しかし、日本語で読むと素晴らしい」という話がさもありなんという。。。

これまったく根拠の無い私見ですが、漱石の小説は、大人になってからの方が面白いと思います。中学生でも『猫』だ、『坊っちゃん』だ、『草枕』だと読みやすいのですが、『猫』の馬鹿馬鹿しさと唐突な微エロテックな描写とか、『坊っちゃん』の例えば、女中の清との別れの場面ですとか、中学かそこらで面白いものではないだろうな、、、と。でもあれは、ほんとの感情だと思う。『草枕』も社会人になって、いろいろ嫌な思いをして何年か経った方が、楽しめるってなもんです。ま、こんなことを言うと、文学は大人が書いた物なので、みんなそーですが、、、

そこを行くと、この『渋江抽斎』は、初期漱石のように敢えて大人が馬鹿をやるってものではなく、真っ正面から文章で勝負というもので、、、この端正さ、かっこよさは若くしても判りやすいかなと。なにはともあれ、若年層にはこっちの方がいいと思います〜〜〜←説得力ゼロ!!



夏目漱石『文学評論』

岩波文庫 夏目漱石『文学評論』上巻の商品写真・・・上のように書きながらやはり漱石『文学評論』(岩波文庫 上巻下巻をお薦めしておきます!

これは18世紀イギリス文学史講義録。何を今更な話ですが、イギリスの18世紀小説は小説というジャンルの一つの源泉なので重要なんでしょーなーと、、、なんて書いちゃうと固いですが、漱石のここでの講義は、ところどころ吹き出しちゃいますので電車で読む時はご注意を!!

わたしが18世紀小説やその書き手の手記が好きなのは、「文学」なんて構えてないからです。もっと雑多なものです。いろいろなものを盛り込みやすい表現手段が小説だった、ってだけだと思うのですね。
わたし、文学好きみたいな人と話すのは・・・小さいことをうじうじかつ観念的ですごい嫌いです。人前では好きだと言うのに抵抗があり、ほかにも好きな物があって、それでもそれなりに読んでるくらいがいいです。*3

余談ながら、結構18世紀あたりって、我々の現代生活の基盤だったりします。漱石もこの中でロック、ヒュームあたりの思想に触れていますが、イギリスから脚を伸ばして、デカルトスピノザなども読んでおくとほんとはいいんだろうなーと。教養市民層が広がって、民主主義が出来上がった時期で、そう言えば、現代生活の基礎となるのは当たり前と言えば当たり前。

この頃の思想は、隠遁者の繰り言でなく、現実との葛藤があり、実に現代の実生活の諸相にも触れるもの。上に挙げた四人も実のところ“普通に教養を備えた素人向けに書いたもの”と言って良いと思います。現代日本の実情を見るに、多分、自由民権運動が早すぎて、その後、戦後の解放がまた一方的だったので、ここら辺のあったり前な話がすっぽり抜けていると感じることが多いですが如何でしょう?一等車の文化が広がったというより、三等客が「俺も金があるから」と一等に乗り込んで来たってもんでしょう?

面倒ですが、ここは一つ騙されて、あったり前な古典に目を通すと、「なんだそういうことか?」という様々な現代社会の前提を見つけて面白いかなと。

ウェブなども情報発信が漸く万民の手になったというものですから、これらの思想との親和性を予感するのはそんなに固くない。はてなつながりの皆様にも梅田サンの本を読まれる方が多くありますが、時折、啓蒙思想の話に触れているのはお覚えかと思います。ロックだろうと、スピノザだろうと、我々に語りかけているのですから、新書だ、入門書だ、ベストセラーのどれそれだをちょっと置いておいて、古典を自分のモノとして手にされるのは如何?と常々強く思います。*4

・・・とすっかり『文学評論』から離れました・・・もとに戻って、漱石にせよ鷗外にせよ、此の頃の文章は、ぜひ旧かな遣いの本を古書店で手に入れてお読みになると、また一段も二段も雰囲気が変わっていいかなと。これは是非お試しくださいませ〜。



ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟

カラマーゾフの兄弟〈第1巻〉 (岩波文庫) の商品写真  はい、ここでいきなりドストエフスキー!それもいきなりカラマーゾフ(第一巻第二巻第三巻第四巻)。

翻訳も文庫で各社だされていますが、わたしが読んだのが岩波にして、しかも左の写真をご覧の通りで、あの挿絵の雰囲気が好きなので、岩波でリンクしています。

罪と罰』、『悪霊』等々ドストエフスキーだけで幾らでも挙げられますし、いきなりカラマーゾフというのも勿体ない気が致しますし、その前にゴーゴリをなどと言いたいのでもありますが、ここは敢えていきなり最高傑作を!

何と言ったらいいのか、こういう生々しさは実に。

あれこれ言うのもなんです。ぜひどうぞ。

いや、もう、これはほんとに、あれこれの話を聞かず、入門書なんて読まず、そのままぜひどうぞ!!



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古典の傑作と言うのは、ところどころの描写のみならず、全体の構成感、全体のクオリティでもなんでも、ある種の基準を植えつけることがあるかなと。

この位のものを傑作と言うんだな。

此のくらい感心したらすごいんだな。

そんな基準があるだけで、随分話が変わると思います。

ジャンルの違うものを見た時も、それが善し悪しのものさしになるのだろうなと。

では、次回はこの続きで!

2016年某日注:

このときは「古典、クラシックからかなり感動したものを選ぼう。エキセントリックなものは省いて・・・」くらいのつもりでぜんぜん考えてなかったですが、いざ、古典的名作とはなにか?古典的名作を読んだらなにがいいのだ? ここらを考えるとどうなるものか・・・

古典の名作とはなにか・・・ですけれど、これはなぜお薦めするかと一緒なのですが、最初にいきなり言ってしまうと、



 文学作品は、さまざまな種類の多数の要素が組み合わさったものだが、その組合わさり方が緻密で各要素をないがしろにできない度合いが高く、長年経っても読む価値があるとされてきたものが古典的名作。
 読み手は、細部を疎かにできず、かつ全体を理解しなければならない。なにかと部分的な思考で、一点突破すればいいという現代で、一つの構築物全体を考えるのはユニークな体験だろう。芸術作品はそうであり、本来自然を眺めてもそうであるが。複眼的思考と全体を広く見る思考ができているかの一つの試金石になる。



古典をたくさん読んだから、複眼思考ができない人ができてくるってものではないと思います。修業の素材でなく、あくまで結果を見るテスト。できないのができる為には別種の訓練がいる。
読んで楽しめる人は、多分元からできる素地のある人だろう、ということ。読んで行くうちに成長する人もあろうけれど、そういう人は、やっぱり割と元からできる人で、単に慣れてなかっただけという成長だと思う。

練習して上がる部分というのは、「それなりにややこしい記述の長い本を読む習慣」という程度な気がします。それはそれで大事かも・・・。多分、学生時代にカラマーゾフ戦争と平和、音楽なら交響曲しっかり通してあれこれ聞いた人なら、40,60になってふと聞くことはできると思う。そうでない人は、かなり難しいのではないか・・・。

できないわけではないでしょうけれど。

絵画鑑賞の場合、絵の前に1分いたって見た格好になるからばれにくい。けれど、あれを数時間一枚に没頭していられるとなると、やっぱり若いうちにやっておかないとなかなか難しいのではないか・・・

そういうことも、文学なら文学読んでいれば、絵画なら絵画を見ていれば、培えるのか・・・と言われると微妙ですが、、、うん、微妙だな。人智の成したものより、自然など「予想のつかない複雑なもの」を細やかに見る方がよほど良いような気がします、、、まぁいいや。



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世の中利口そうな人はいるけれど、ベースが個人的損得でしかないという人が殆どですが・・・たぶん、文化が発達したからそういう人が幅を聞かせられるのだとと思う。誰だって、自分の損得は勘定するけれど、度合いが違う。だって、集団で智慧を出し合って自然なりなんなりと対峙していた社会でそれは全体を損ねますから。なにより自然相手にそれが通用しない。

そういった利口だけれどなにごとも(自分に都合の良いように)部分的に理解する人、必要ないと自分が思っているものには目をくれない人などは、古典的名作なんて苦手だと思います。そもそもフィクション作品、いや芸術鑑賞も苦手ですね。なにかエクセントリックな、特定の趣味のデカダンのような作品は好きなこともあろうけれど。

同様に、他人の真似をする人、ルールに従う人、これもやはり文化の発達した所産でしょう。これをやればいいという答えがあるところで生きているだけで。そうそう中村元さんの初期仏教研究で読んだのですが、お釈迦さまは、悟りを開いたら世間のおかしさに呆れ、他人と話も通じず、山に籠ろうとでもしたら、「無知な我々にルールをください」とすがりつかれてどうのこうの。

たしか↓この本にあったような・・・

ゴータマ・ブッダ I 原始仏教 I  決定版 中村元選集 第11巻 の商品写真  ゴータマ・ブッダ I 原始仏教 I  決定版 中村元選集 第11巻
著者: 中村 元
出版社: 春秋社



・・・当時ははっきりしていなかったけれど、上に書いたようもろもろがうっすら底意にあったのでしょうから、きらりと光る佳品のようなものは省いてなるべく要素盛り沢山の大作にしたのかと。
2of2で出て来るThe Sentimental Journeyは、割とこじんまりした中編ですが、これは全体的に自分の情動を掴んで、作者の要求する変化に柔軟に対応できないとなにが面白いのか判らない、という方向で稀な傑作。これは例外。

エクセントリックなもの、趣味を極める方向は、「勝手に自分で探すだろう」からやはり取り上げない。現代物だと、大作ではないけれど、なんだか励まされるいい作品があるけど、それも別にここで取り上げることはない。

この意味で、ドストエフスキーはちょっと悩むところが、人物があまりに作り物過ぎやしないか、というところです。あとその哲学・宗教的思想を誉める人も多いですけど、私は、いまになって見ると、まったくそう思わない。いろいろ盛り込んでいるけれど、ひとつひとつがそんなに深いもんかしら。
古典的名作なら、『戦争と平和』・・・長過ぎかな、、、。苦手な人向けでもあるので、挫折するんじゃないかという妙な老婆心が、、、

すっかり、忘れていた『神曲』や『ドン・キホーテ』だと、後者の方がいいかな・・・。勿論、どちらもみんな読めればいいのでしょうけど、でも、『ドン・キホーテ』も長いですし、途中で大体手のうちは見えるもので

ドン・キホーテ 全6冊 (岩波文庫) の商品写真  ドン・キホーテ 全6冊 (岩波文庫)
著者: セルバンテス
出版社: 岩波書店

ディケンスやジェーン・オースティンあたりは、情景が細かいし、ほんとうにリアル・日常的です。BBCがきちんと作ったドラマがあるので、そちらを見ても良いような気もします。ドラマはドラマで描写の可能性を制限する感もありますが、ここまでしっかり作られてるとこれはこれで貴重な体験です。

英語なんかだと字幕があれば、半分判るので原語のニュアンスにいろいろ感じることもあります。といって、原書読むのは大変ですし。

デビッド・コパ―フィールド BBC文芸ドラマ [DVD] の商品写真  デビッド・コパ―フィールド BBC文芸ドラマ [DVD]
監督: サイモン・カーティス 出演: ダニエル・ラドクリフ, イアン・マッケラン, マギー・スミス, ボブ・ホスキンス
販売元: IVC,Ltd.

分別と多感[Blu-Ray] の商品写真  分別と多感[Blu-Ray]
出演: ハティ・モラハン、チャリティー・ウェイクフィールドほか
販売元: IVC,Ltd.

高慢と偏見[Blu-Ray]  の商品写真  高慢と偏見[Blu-Ray]
出演: コリン・ファースジェニファー・イーリーほか
販売元: IVC,Ltd.

カフカの『審判』・『城』は取り上げたくもあるけれど、あれは大人になって、人為的恣意的な社会のルールの中で生きた後の方がいいのでは・・・。いっとき、ポストモダンがごちゃごちゃ持ち上げたけれど、別に大したことないと思いますけれど。

メルヴィルの『バートルビー』など中編・短編を入れると切りがないし、夏休みでなく普通の週末で読めるからやめてますが・・・。でも、意外にこういうもやもやしたものが心に残ったりしますけれど。

幽霊船 他1篇 (岩波文庫 赤 308-5) の商品写真  幽霊船 他1篇 (岩波文庫 赤 308-5)
著者: ハーマン・メルヴィル 併収の他一編は『バートルビー
出版社: 岩波書店

SFや現代の流行りものにもいいものはあれど、そういう知識はちまたにあるだろうし・・・

翻訳物ばかりになって、それも欧米ものになるけれど、国内から探すとなると、私にはちょっと判らない。中学生が、有馬『或る女』ってのもどうだろう・・・

とかなんとか

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さまざまな人間感情や思想は、いまや漫画やドラマ、映画も繊細なところ・複雑込み入ったところを扱っています。日常的なものは、地味に何度も回を重ねるドラマや漫画の方が有利かも知れないですね。

文学系の人は、なぜか文学をひときわ高く思ってますけれど、細かいとこに拘泥してエキセントリックな自分は見えてても、あったり前のことが見えてなかったりするもんです。自分の癖を愛でているんですね、後生大事に。無我からほど遠い。だから、細かい趣味で張り合う。

人情の機微から、心身の関連まで、肉体的・思想的に扱ったものだったら、それこそ

わたしの人形は良い人形 (山岸凉子スペシャルセレクション 1) の商品写真  わたしの人形は良い人形 (山岸凉子スペシャルセレクション 1)
著者: 山岸 凉子 
出版社: 潮出版社
第一等に心理描写の巧みな山岸凉子の傑作セレクション第一巻。ご存知ないかたは、ダマされたと思ってこの1巻所収の『白眼子』を!!

失踪日記2 アル中病棟 の商品写真  失踪日記2 アル中病棟
著者: 吾妻 ひでお
出版社: イースト・プレス

こういった↑作品の方が上ではないか、なんて思います。そういうものも、かつての文学の積み重ねのお陰だとか言う人はあるのかしれませんが・・・

漫画は複数の人間を同時に示す点で、しかも芝居と違い作家がそれをコントロールできる点に特色がありますね。

芸術作品は、自分の趣味を愛でるためにあるより、自分が気付かない執着・内面の癖をわかりやすく触れさせるためにある・・・このくらいに考えてはどうか。正直な作家はその解放、解決を本来は望んでいる。そう考えると、全然おつきあいが変わります。

そうせずに、「あっ、私の癖と一緒だ。私はこれでいいんだ。私はそうなんだ。」ってのが、いわゆるファン・フリークの受け取り方でしょう。そして、その救世主に固着する。でも、それが自分のほんとの姿であり、可能性であるのか?自分で疑っているから、他の要素他の可能性の侵入に防御的になるのではないか?一度そこで安心してしまうから、出られない、となるとそれがいいことか悪いことか。

そんなこんなをひっくるめて、ちょっとこのエントリーの主旨を離れ、中学生向きとだけ考えて挙げておきますと・・・



◎人生訓。ネットで拾った水木さんのものです。勝手に使ってごめんなさい。

水木しげる先生の明言 人生の七ヶ条の写真

このブログなんぞに耐えられる人はこれに悩むでしょう。それがため古典を読んだり、哲学を読んだり・・・でもそんな人の世俗を生きる価値観はこれに尽きる。難しい本を読んでもこんなに素晴らしいことは書いてません。

世の中なにが大変かって、ようするに好きなものがない、「負けたくないだけが好き」という人が多い。なんの分野でなにをするではなくて、目の前の人間が、優劣の優だと嫌というだけの人。

こういう人は、作品の優劣などで争いません、そこが目的でないから。負けも認めません。

そういう人がうようよ居ると思って、この七ヶ条を応用してやるのがよろし。

周囲にすごいと言われたいだけの人より、できたものの価値で争う世界に入れるようにすること。でも、値段じゃないですよ。ここでものの値段だけ言う人は同様に敬遠すべき。お金も大事ですけれど



◎漫画が続きますが、自分の長所を見つけること、自分のやりたいことと世間でお金をくれることの折り合いをつけること、の悩みと実践を示す名作。これも中学生くらいに読んで、漫画家の話と思わず、自分の場合はこれから先どうするか考えると良いです。

アオイホノオ(1) (ゲッサン少年サンデーコミックス) の商品写真  アオイホノオ(1) (ゲッサン少年サンデーコミックス)
著者: 島本 和彦
出版社: 小学館

優等生ほど、またそれなりに勉強出来てしまうから、「好き」を見つめかったりする。あまりに「好き」を安易に決めてしまうのもあれです。ゴッホだって、商売人、牧師、とぜんぜん違う職業で挫折して、子どものころは没頭していた絵に向かった。

幼少時に没頭できたものは、「好き」に近いことは多いですよね



◎【全文公開】伝説の漫画編集者マシリトはゲーム業界でも偉人だった! 鳥嶋和彦が語る「DQ」「FF」「クロノ・トリガー」誕生秘話

http://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/torishima

漫画編集者のインタビューですが、ぜひどうぞ。どうやって職業を選んだか、入った職場でなにをやったか刺激的な話ばかり。

職業の選択ですけれど、簡単に書いてますが、こういう風に自分の特性を掴んでいる人ってなかなかいないものです。

自分にそういうものがないなら、こういう人の下で働けることを考える。多分、人間の好き嫌いやつけ届け云々より、個人の特性・能力を見てドライにやってくれると思います。



一時的でなく、長年好きなものがあるのに、当たり前と思って見向きもしなかったり、単に長いものに巻かれてしまうものですのでぜひご一考のほどを。

*1:これを読んで!!と僭越なことを言えるものでもなく、こんなのを読めば、古典の面白さに自らいろいろ読み進めることもあろうかな・・・という態度です。

*2:そういうのを下から目線!と言えばいいのかなと、、、すぐ「私たち庶民は!」とか言いたがる方々なども併せて。

*3:文学系のやんちゃ・喧嘩自慢とか、官能の達人面とかアホかと思います。

*4:日本の同時代の思想にも多分そういう傾向があるのだと思います。私もその当たり不勉強ですが、結局、普通の言葉で語られるまで至らなかったという感想を持ってます。