前回の続きで、ここ半年くらいのスパンで読んだり見たりした書籍、DVDなどなどから、ここでご紹介してもよかれ〜と思うものをご紹介しております。
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本日は、えいやっ!!とまとめて、
PR!―世論操作の社会史
著者:
スチュアート・ユーウェン
出版社: 法政大学出版局
プロパガンダ―広告・政治宣伝のからくりを見抜く
著者: アンソニー プラトカニス, エリオット アロンソン
出版社: 誠信書房
プロパガンダ教本
著者: エドワード・バーネイズ
出版社: 成甲書房
群衆心理 (講談社学術文庫)
著者: ギュスターヴ・ル・ボン
出版社: 講談社
マスメディア・広告・宣伝を考える類いの数冊ですが、いままででも弊ブログでちょこっと宣伝してたもの。邦国の例外的長期政権の頃から、先日のせいけんこーたいから、昨今のように「母親が知らない間に9億円どーのこーの」まで、経済にせよ、政治にせよ、なんでこんなに???な内容がそういう一方的な報道姿勢なの???、、、と疑問を持ったので読んでみました。
特におすすめは最初の三冊、もっとしぼれば、最初の二冊はかなりおすすめ。四番目の『群集心理』は古典過ぎるので、まぁ抜かしてもいいかとも思います。Amazonのレビューで概要はわかりますから、いまさら私が駄文を綴るのもなんですが、かなりおすすめの二冊だけ詳細に宣伝してみますとっ!
◎一冊目のスチュアート・ユーウェン著『PR!―世論操作の社会史』は、アメリカに於いて世論操作が誰によって、どういう意図の元にはじまり、発展したかを細かく扱う著作。無論、こちらも読み手として専門家でないので、一時資料を当たってどうのまでつきあえないので、この著者にどのような偏向があるのかないのか何とも言えませんが、まぁそこに描かれた世論操作側の意図に呆れることしきり。いやこんなこと、別に20世紀初頭以降のアメリカに限らず、情報統制というのは古今東西かわりゃせん・・・と思う方も多いでしょう。わたしもそんなつもりで読みましたが、ここまで明確に思想的バイアスの掛かった与件を、思想的バイアスの掛かった論理で積み上げて、こんなにまで主客二項的、目的指向的に行動しつくせるのね・・・と薄ら寒くなります。疑問を持たずにどんどん前に進むと、存外followerがでてくるのでしょうか?*1
そんな裏の意図があるなんて大げさな・・・とも思うものの、基本理念は「右往左往しやすい大衆の集合体としてのパワーを都合良く利用して、私のためのお金儲けしよう!」というだけですから、そんなシンプル指向が席捲する状況はあり得るだろうし、昨今の情報の偏りがそーゆーことはあってもおかしかないだろうと。
昨日の記事に関係するニューディール時代の話なども大変興味深いもので、なにがどうと言わずにぜひご一読を!とおすすめしたいもの。
そりゃ根本的には古今東西かわりゃせんものではありましょうが、はじめは一国全体、次にはグローバルに大衆操作が可能になったのは、
・大資本興隆による資金力
・新聞・ラジオ・TVという速報的メディアの発達
・音声・映像という人間生理に刺激的な伝達手段の発達
・公教育で文字は読めるが理性的に判断する教育は受けていない or 受けられない大衆
・統計技術の発達
等々の条件が揃った20世紀だからこそでしょう。読後、なんともなんともな気分に浸れます!*2 *3
アメリカでの成立史ですが、我々の現在にどう影響しているのか、どんな類似性があるのか等々、いろいろ考えさせられ、なんにせよ、「そういう情報が流れるのは、そういう情報を流したいのね」という一歩引いた態度ができるようになるものかと。
◎上の本が歴史的な成立史であるなら、二冊目のアンソニー プラトカニス, エリオット・アロンソン著『プロパガンダ―広告・政治宣伝のからくりを見抜く』は、タイトルにある通り、そんな広告・宣伝の手法を解説する書籍。著者が書いている通り、(広義の)マーケティングについつい吊られない様に読者自身が賢くなる為の一冊。具体的な手法をいくつも挙げていますが、いわゆるマーケティング本に書かれてある事とほぼ共通するので、人によっては目新しくないと思うやも知れません。しかし、この本の違いは、その手法の意図にある“下心”、いやもう“悪意”と言っていいくらいのところを記述する事。
大体、マーケティングの本は、まさか下心を率直に記述するわけにもいかないので、「こうやってカスタマーをハッピーにしましょ〜」とポジティブな口調で、道義心に反しない様に書かれているものです。それ故、わたしのようないまいち鈍い人間には、なんだか実感がわかず、隔靴掻痒というとおかしいかも知れませんが、なんにせよ腑に落ちないもの。しかし、この本の書き方ならなるほどね・・・と実に判りやすかったのでした。*4
世の中に必要悪はあるにせよ、悪意を自覚してないから行き過ぎる。それをなにかの信仰なり、一流大学の先生の理論なりでメッキをしてしまうと、もう抑えようもない。世の中でブイブイ言わせているのが、無駄に威勢がいいのは、中身ばれたら困るからでしょう。*5
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ついでに挙げておけば、これも何度か挙げたものですが、同じ問題をフランスの事例で、違う切り口から扱った啓蒙書が、
ブルデュー: メディア批判 (シリーズ社会批判)
著者: P.ブルデュー
出版社: 藤原書店
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先日もわたしの母にあたる人がなにを思ったか、なんたらショッピングに吊られて変な物を高値で購入。それでメーカーのホームページ*6、宣伝に協力しているその関連の有名人・なんたら研究家が1/10の価格の類似物もおすすめしている実態、類似物の一般的な値段レベル、いかにもイカサマ科学的説明の理論的根拠、そんな科学(?)の学会があるってんでホームページに行ってでてくる面々の顔写真などなどを見せたの上、「母上は家族の会話が乏しいから、寂しさを紛らわす為に、そんなもの買ってしまったんだね。さぁ話しましょう。なんでもいいから話しなさい。さぁ話せ、話しなさい!!」と会話を強要しました。面白いのが、「わたしは、そんな説明に騙されたんじゃないの!」というよくある一貫性の法則を見せたことですが、それも説明してみたら、「返す。あぁ返さなきゃ。」となったので、返品交渉の上に、類似物を半額以下(←日本橋の三越でさえそんな値段。まぁ三越なら安心ってのも単にブランド信仰ではありますが・・・)で購入し直しました。
こんなのもミクロな場所での、「右往左往しやすい大衆の集合体としてのパワーを都合良く利用して、私のためのお金儲けしよう!」の一例であります。
難しいのは、大元の大資本を抱えた人は、番頭に高給を与え、「我々の側に組すれば、比較的優位な身分を保障しましょう」と懐柔、それで世間的には「成功への道は開かれてるぞ〜」とやる。当たりもしない宝くじ程度の確率のチャンスにもかかわらず、「夢はみんなに開かれているYO!」と煽る煽る。その流れに組して、失敗したら私が悪いと納得する方が、実に処世術としてはやりやすい。
実のところは、自分はなにもせずになるべく目立たず大勢に埋もれながら、失敗した人だけ「お前の自己責任だ」と叩いたり。悪いことして失敗した相手ならそれでもよいでしょうが・・・
上述の数々の本は、「一定の量の個々人がきちんと明晰に理性的に判断しているのが良い集団。その為には日々自己鍛錬が必要でありますことよ・・・」とやるもんだから、すぐに利益が見えないし、成功の保証も欠けているし、自分が鍛錬しても周りはそんなもん知らんと安易な道を選びましょうし、、、。昨日紹介した経済学の本でもそうですが、「正しい事が判ってない」というよりは、「正しい事が伝わってない」のだとすれば、良心的な方々が、ダークサイドに落ちずに追求すべき技芸は実に一考、二考、三考をしても足りない難しい道なのでしょうか。せめて夢でも見ていたい・・・という思いに、もっと面白そうなものを見せる方法って、まったく自分などには思いもよりません。*7