わいわい 2009年11月号:とくになにかあったわけでもないです - 付き 若竹屋博多練酒とリトアニアのライ麦ウォッカ サマネの簡単な紹介

一週間遅れでご報告。幹事の金ちゃんが、お子さん生まれたなんだかんだでお見えになれないとのことで、いつもきてそーな人がゆるく幹事代行を頼まれる展開。

女子は、kanyちゃんといつぞやの京都の友達、だんさー。男子は、中山さん、Hさん、Tさん、ひがちゃんの友達二名、ちーずやさん、Mさん、中学生に見える人、げおるぐさん・・・思い出せないけど、のべ15名くらいだったんかしら。

で、私の方は、kanyちゃん、ダンサー、中学生と四人で、♀♀の恋愛技法についての果てしないお話をしていたので、特に記すべき内容はないです。

一つ、ワーグナーの『神々の黄昏』にひっかけて、最高に面白いジョークを言ったのに、中山さんにしか通じなかった・・・

Furtwängler: Opera Live [41CD Box set], Import の商品写真  Furtwängler: Opera Live [41CD Box set], Import
フルトヴェングラーが指揮するオペラ公演のライブ録音41枚組。1950年のスカラ座 ニーベルングの指輪、1943年ウィーンでのトリスタンとイゾルデ等10余の公演を収録。音質を補ってあまりある名演の記録です。
レーベル: Membran

しかも、どんな冗談だったか忘れました・・・

というだけでもなんなので、記憶を辿ると、ダンサーの人とダンスの話をしました。←バレエだけど、まぁそれは兎も角

二ヶ月程前に、NHKの衛星だか、HiVisionでやっていたStrictly Bolshoi(2007年 Ballet Boyz制作)が大変面白かったという話。イギリス人でNYで活躍している若手振付師のクリストファー・ウィールドン Christpher Wheeldonが、ボリショイ・バレエのアレクセイ・ラトマンスキーに招かれて、『ハムレット』をベースの新作バレエをするものの・・・という内容。

これが珍道中で、ボリショイのお固い伝統との軋轢といったらかっこいいのですが、実質はウィールドンさんがなんも下準備しておらず舐めてかかってました!!という爆笑展開と人柄の良さ炸裂。制作のBallet Boyzが実は彼の元同僚で、気心知れた冷やかし&手助けに笑ったり、ほっとしたり。

それで珍道中で終わらせるか!?と思いきや、80分弱のこのドキュメントの終わり1/3ほどに収められた、やっとできた創作ダンス『ミゼリコード(現在は、エルシノアという名前だそうです)』の全舞台がこれがすばらしい。まじめに感心してしまいました。一人一人のダンサーが踊るというより、舞台にいる二人なりもっと大人数のユニットが流れるように協調する様が感心でした。

ま、飲みの席ではそんな話でもなく、もっぱら、そこにでてくる「こいつもこいつも男子好きの男子か!?」という話に盛り上がって、踊り子集団におけるどーせーあい事情を伺っていたのでありますが、、、残念ながら、DVDが出ていないのです!ウィールドン氏振り付け作品で探しても特にパッケージ化されておらず、んんん。いまぱっと見るなら、YouTubeを探して断片をちらちら見る程度のようです。

この話の流れで、結構こまかい体の使い方というか、体の感覚とか、動作の感覚とかそんな話をしたかな・・・

いじょう、であります。

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というのはあまりに話題が寂しいので、わいわいと関係ないとこで、いま一つ。

わたしは自分の人生から食道楽を除外しているので、話半分に聞いていただきたいのですが、先日某九州料理屋で教えてもらった、これ↓

若竹屋 博多練酒 500ml  の商品写真  若竹屋 博多練酒 500ml
とろけるような、絹ごしの舌ざわり、自然な甘酸っぱさ、それにお酒に香りがからみ合う奥行きの深い味わいの純米酒です。
製造: 若竹屋

が、おいしかった。お米食べているような濃厚さといいかんじの甘酸っぱさで、お正月も近いので祝い酒にお試しになられたい向きにはどうぞ。(見ての通り、高くはないです)

3%と度数が低いので、そのお店曰く、適当なお酒をちょいと足して飲んでもいけてるとのこと。わたしも実際いけてると思いました。*1

では〜

*1:大して飲みませんが、飲むときは大概日本酒の地酒でない場合、洋酒の変なもの例えば、リトアニアのサマネ。ライ麦の香りが芬々で、飲んでいてほんとにライ麦パンを食べているような錯覚が致します。

サマネ ( リトアニア産ライ麦ウォッカ ) 500ml  の商品写真  サマネ ( リトアニア産ライ麦ウォッカ ) 500ml

あと、ロシアのベリーのリキュールが好きなんですが、日本で見たことがない・・・

歩く

ときどきぷらぷらと10km、15kmくらい歩いてしまいます。大概、混んでいる電車に乗りたくないなという時で、6km/hくらいで歩けるので、小一時間でも結構な距離になり、少し調子に乗っていれば気付けば10kmもすぐ。

リュックにパソコンだ本だと入れて、大体重量4-5kg。本来少し前にあるはずの両肩を、両の肩ベルトが後ろに−肩甲骨の間が狭くなる様に−引っ張るのが難儀です。それに力で抗しないようにしていて、その癖、うまいバランスを見つけてないせいか、これがその内に肩の痛みとなります。その為に肩ベルトを広げずにつないでおく小さな帯があるとは言え、本来肩ベルトはたすきがけにすべきだよなぁと思ったり。

ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと (大型本) の商品写真  ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと (大型本)
著者: トーマス・マークほか
出版社: 春秋社

プロメテウス解剖学アトラス解剖学総論/運動器系 第2版 (大型本) の商品写真  プロメテウス解剖学アトラス解剖学総論/運動器系 第2版 (大型本)
監訳: 坂井 建雄, 松村 讓兒
出版社: 医学書院

↑こういった本で、痛くなる場所の構造を押さえたり・・・先日も十分承知していたつもりが、左膝の関節の位置がイメージとずれていて呆れました。間接は曲がるところで、力を生むのは筋肉なんて基本も頭で判っていても、体で判っているかというとなんとも。

特に前者。ピアニスト向けなんてありますけど、全然一般の人向けで、スポーツ系のストレッチだの、「腰が楽になる健康体操」なんてやるより全然いいと思うものです。←まだまだ全然うまくできてない

*1

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そんなこんなは兎も角、先日、はてな周りとは別所の知り合いの九州某所出身の若い友人と話していたら、

「いや、東京が実に歩きにくいと分かりました・・・」

「んん???・・・その様子は、単に混んでいるってことじゃなさそー」

そこで某君、お答えになるに

「そうなんです。そりゃ東京は混んでいて歩きにくいですけど、人を除けないし、人の歩いているラインに入ってくるし、、、」

で、ピンと来ました。自分の観察と似ていたからです。

「それ、わかるわかる。各地方がどうだか僕は全然知らないのだけど、遠くから人を認知してこれが自分のラインだよってやらないよね。で、こっちの歩いているラインにふっと入ってきて、それじゃぶつかるだろうと思うけど、こっちが除けないでいると、目を背ける

「そうそう!、目を背けるんですよ。全員が全員でなく、勿論こっち(東京というか首都圏くらいに考えてよいかも)でも先に除ける人も居ますけど、歩き難くする人多いですよねって、そう思いました。」

「携帯見ていてなんてのじゃなくって、そもそも前見て、まっすぐ歩いてないよね。それ言うと、前後左右の注意も足りないよね、、、って、欧米行くとまぁ身なりがそこそこの一般市民って感じの人なら後ろに人が居れば、ぱっと除けることが多いけど、こっちはそうでもないもんね。でも(その若い友人の)実家の方は違うんだ、それは面白い話っす。」

「そういうの何なんですかね、、、、」

「う〜ん・・・でさ、中には、相手が先にそのラインに居たから、自分が邪魔したって分かってるのも多い訳じゃない」

「ほとんどそうでしょ」

「それで目を背けて、除けてくれるだろうみたいな。やましいって分かっててやってるんだよなぁ。」

「そうそう、そういったことで、実家に帰った時、もうちょっと分かりやすく譲り合ってるなぁと感心したんです。」

こういうことも、鄙ならどこでもそうかとも言えず、地方性があることでありましょう。それに観察者の状況の偶然だの、サンプルの少なさだのあるものですので、半信半疑以下でどうぞ。

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以前、ヨーロッパ一人旅で、結構面白かったのが、街によるこの手の問題の違い。これも、あくまで私の経験でサンプルが少ないので、国民性にもっていくのは危険ですが(ご参照:http://d.hatena.ne.jp/sergejO/20081124/1227453341)、まぁこんな感じだったのです。

  • ロンドン:毛並みのいい人は結構遠くで人を認識して除ける。場末はそうでもない。

  • フランス(フランス&南仏片田舎):ライン譲る譲らないで、勝負掛けてる男が結構居る(特に女連れのとき)。これは分かりやすいけど、そうではなくて、なんとなく「こんにちわ」という挨拶といった風にふらっと入ってくる感じも、たまにですがあったのがなんか変な印象でした。除けてんのに「逃げないで〜」みたいに柔らかく入ってくるの。
  • ドイツの方々:もう次の目的地しか見てない。建物から出てくると、男女問わず、次の目的地にまっすぐズバーーっと進むので、こっちが急ブレーキで除けてました。こっちのことが分かってるのか分かってないのか、まっすぐ見てるとしか見えないからなんじゃと。
  • オーストリアのウィーンとかザルツブルグとかしかいってないですが:ここも結構人を認識して除ける感じで、歩きやすかった。

国民性かどうかは兎も角、またこういうものも私の妄想かも知れませんから、その点はよくよく御注意被下度。とは言え、こういう些細な動作って、実は生活の全般的な行動なり考え方の癖もあらわしてないかな、、、とつくづく思うのですがいかがでしょうか?再三繰り返すことながら、私はこれこれです、なんてステートメントしていることより、よっぽどその人を表していると思ったりもします。

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ずいぶん前ですが、国内某新聞の一面下段の広告上あたりに大概あるたわいもないエッセイに*2、混んでる電車で頑固につっぱっている若者を見たという話がありました。それで

「そうやって、つっぱってないで波にまかせるのも大事だ。肩肘はらない生き方が楽だと判る。」

なんて言うのですが・・・幾ら何でもアホかと。*3

そりゃ、頑として動かないのはいくら何でも融通が利かないし、その人に当たる人が痛すぎるので宜しくない。けれども、波にまかせていても大崩れにならないのは、柱に押し付けられている人や、つり革持っている人等々が大変難儀しているからです。波にまかせるってのは、自分だけ楽で、縁の下の力持ちまかせでしょ?自分のことしか考えてないってのでは、実は頑としてゆずらない人も波にまかせる人も、そっくり似ているのでは?

正しくは、なるべく自分の足場で他人に寄りかからずに身を支えるということであって、もうどうしようもなく混んでいる例えば田園都市線の早朝ラッシュのような状態でなければ結構それはできる。とは言え、路面の傾き、カーブの具合、それこそ電車の走行音に注意しながら、膝だ股関節だをゆるやかにかなり気をつかわないといけない。そういうのを放棄しているのが、たやすく他人に寄りかかって、波にまかせてるだけなんじゃないの?なんて思ったものです。*4 他人に寄りかかるのを前提にひじなどを他人に当てやすいように気をやっている人なんても存外多いので呆れます。「その方が楽なんだから」というのがミクロの自分の視点であって、マクロで全体を見てもそれでいいのかどうか・・・なんて言い換えても良いものか。

自分も聖人君子とはほど遠いので、己を神棚に上げ奉っての物言いですが、こんなささいな反応も実際日頃の行動・思考と変わらん気がします。電車くらいならまだしも、一事が万事、マクロ的視点、全体の知覚・考察なんてものもやりがたいので、自分のことだけ考えればそりゃまぁ楽なんですが。

・・・なんて思うので、酔っぱらい&寄っかかり多数の満員電車に載るなら、家までさして遠くないなら、ついつい歩こうなんて思ってしまう・・・という円環をむりやり作って、本日のたわごとを終えますぅぅぅ

というわけで、おすすめのもう一冊。

Erewhon (Penguin Classics) の商品写真  Erewhon (Penguin Classics)
著者: Samuel Butler
出版社: Penguin Classics

*1:2016年某日注:視覚的に認識したからってさして変わらないと思います。かくかくしかじかと走っている筋肉がいま引っ張っているのか脱力出来ているのか、を感じること、それもあっちだこっちだ複数を感じることが重要。これらの解剖学的知識はそのために使うのないならあまり実際の体の運用には役に立たないと思います。
F.M.アレクサンダーが言う様に、解剖学の先生が見事な背筋できれいに歩くわけでもなし。

*2:あれほんとたわいもないですよね。その割にありがたがられていて不思議。今回の話は、てんせーじんごではないです。

*3:そこそこ売れてる文芸評論家が、とある子供の質問に絶句で答えろと書いている記事を読んだ時くらいにびっくりしました。

*4:座ってるのがまた、だらしなく座骨でなく尾骨重心で座って、短い脚を長く見せようと前に投げていたりなんて問題も・・・

ユーモア・笑い

いつぞやのこと。とある人と話しながら、なんか違うよなぁと。それで似たような私が似たような印象を抱いた人を記憶に思い浮かべて横並びにしてみたら、どうにも自分には引っかかる皆さんは素直に笑ってないのに気がついた。

笑っていても素直でないってなに?なのですが、笑いがいじわるなんですよね。「へぇ、コイツこんなことしてら、ヘヘ(やや邪悪)」みたいな人物評価の優劣と重なってるんだろうと思う。相手の言うユーモアも、自分に対する優劣評価なんぞとつなげてしまうから、笑えないことが多いんじゃないか。そういう人物が面白い事を言ってみても、嫌みや皮肉になっている。それは、またどうですかねぇ???それじゃあ、トゥゲザーでハッピーできないじゃない!?ってところを感じていないのだろう。*1

ベルグソンの笑いのお話のように、社会的な矯正作用ってな文脈で考えとるからいかんのじゃないの?

笑い (岩波文庫 青 645-3) の商品写真  笑い (岩波文庫 青 645-3)
著者: アンリ・ベルクソン
出版社: 岩波書店

と思ったり。*2

笑いなりユーモアについては、よく取り上げるベイトソンの説明が好きで、

精神と自然 ― 生きた世界の認識論 の商品写真  精神と自然 ― 生きた世界の認識論
著者: グレゴリー・ベイトソン 翻訳: 佐藤良明
出版社: 新思索社

精神の生態学 の商品写真  精神の生態学
著者: グレゴリー・ベイトソン 翻訳: 佐藤良明
出版社: 新思索社

昨晩、引用しようと思って探したものの見つからなかったのが残念ですが、なんにせよユーモアというのは前提なり、推論なりをずらしてみて、ずれているんだけど、それはそれで確かに成立するよね〜という状況。そうなると相矛盾する二つの状態が成立しちゃう、これを笑ってごまかす!ってな話だったと思います。

スラップスティックの大家が、ずらしてずらして考え続けて、ほんとに頭おかしくなっちゃったということは、コメディアンや漫画家でもたまにあるようで、

http://en.wikipedia.org/wiki/Spike_Milligan
頭おかしくならなくても、正確・精密にものを考えないで、ずれてっちゃう癖はでるのでなんですが、とは言え、矛盾のある世の中で笑ってごまかすこともできないのもおかしくならーねーと。*3

素直に笑えない人が、なんだか暗いものを抱えているのはまぁ笑ってごまかせないからなんかなぁと。また時に、「こっから先は、触れてほしくないから曖昧にしてんだねえ」なんて思わせることが多いのは、矛盾な状況を自分で笑えずに居るから、明らかにしたくないんぢゃないの?と思ったり・・・なんて書いていて思い出しましたが、とある人が、「ケロロ軍曹の目は、馬鹿にしているみたいで嫌い」と言ったのにびっくりしたことがありました。*4

*****

かくなる次第で例題二つ。





素直に笑えずに、しかも、「こいつら馬鹿言ってる・・・」といった優劣系の暗い感情がおこったら、やっぱりなんかの病気なんだろう・・・

意外にいるんだな。

*1:http://www.j-cast.com/2009/10/21052053.html

*2:2016年某日注:単に相手より自分が優れていると思いたい、そうでないとむしろ不安だ・・・といった黒々とした執着が渦巻いている人なんですね。だから、相手が馬鹿なことをやって自分が責められる、「あぁ嬉しい」と思って顔がにやける。この嬉しいも純粋でないです。自分がなにか優れたことをやって優位に立つのではなく、相手に「失敗しろ失敗しろ」と念じる、相手の失敗等々マイナス点しか響かない感性・・・

*3:そうそう、そういうずれには気付くけど、笑い慣れてないという人も別に気にならない。気になるのは悪意の感じる笑いということか。

*4:「読者も、作者も、登場人物も笑いの対象なんじゃないの?」と答えてはみましたが・・・