ヴィクトル・エリセ監督『エル・スール』という映画を例に:言葉による大きな物語に解消せずに

ふと、書きたくなったので。

ヴィクトル・エリセという映画監督がかなり好きなのです。スペインの映画監督で、ろくに予算がないから、およそ10年置きに撮るペースで、長編で言えば世に出たのは3本のみ。今現在の最後の一本はドキュメンタリ(風?)。もう69歳で、今後長編を撮る事があるのでしょうか・・・

大変、エモーショナルな作風で、どこをとってもみずみずしくて、観賞後、わたしなんかでも人に優しくなれそうに感じるいい映画です。

やはり最高傑作と言うと、エル・スールと思うのですが、ではどこがいいのか、、、と解析した時に、あまりに言葉で判る物語に解消されるのはなんだな、、、と思うので駄文をしたためております。

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永遠の傑作「ミツバチのささやき」・「エル・スール」、エリセ監督自身の監修によるHDニューマスターにて決定版DVD化。デビュー作の小品「挑戦」も併収!
出版社: 紀伊國屋書店

物語と云うものは、自分で自分のためにでも少しでも創作した方ならわかるものですが、あまりメッセージ色が強かったり、登場人物白黒はっきりしていてもなかなか詰まらんもので、「そんなに明確にメッセージがあるならば、そう素直に書きゃいいだろ」となってしまう。それが故に、どれだけごちゃごちゃさせられるかが結構重要になる。メッセージがないと「なんじゃこりゃ」だけど、それが見え過ぎてもなんだなぁと。そうだよね、でもそうでないかもね、どっちなんだろ、でも主人公はそうしたんだ、あぁ、、、みたいに、いろいろ考える余地を含めとくともっと楽しめる。そういうものです。*1

それでヴィクトル・エリセの作品も、まぁそんな感じで、いろんな価値観を共存させて置くのがうまくって、それがどっかに簡単に集約されない様に、なんだかんだと散らせながらもバランスを取る。ここらのバランスというか勘の良さと云う他ないものが、作品で一番面白い所なんだろうなぁと思うのです。どんな諸要素を取り上げて、それでどうバランスを取ってまとめているか、というところですね。

簡単に言うと、「おれはこう思ってる。こうなんだーー!」というより、「まぁいろいろあるけど、僕はこうしたよ。ま、いろいろあるけどね」って語り口と言いましょうか。大人な苦みってものでしょうか。

しかしこれは、物語とか、メッセージだけのことだけのことではなく、それらもあくまで作品の構成要素の一つ二つに過ぎない。作品全体はもっとさまざまなもので一つの全体を成している。

小説作品なら、それがどういう登場人物を出してどういう役割をさせるかだけでなく、ストーリーの折り重なり方や逸脱の方向や頻度などだけでもなく、描写される情景はもちろん選ぶ言葉一つ一つの変化からそんなものを感じさせるのであり、映像作品でもそれは同様です。

例えば、これはエル・スールというエリセの長編二作目の一シーンで、ヒロインが初聖体拝受の後、親戚一同で町のレストランでパーティーを行っている場面。これを見てても、非常に細かい所でバランスというか勘の良さと云う他ないものが見える。

聖体拝受の際にヒロインの女の子が着ていたヴェールを中心に、カメラは左右対称の画面で引いてまた戻りますが、これが余りにきっちり対象だったらあざといでしょう。撮っているカメラの存在(監督自身)を気づかせるようでもあるけれど、左右対称にしすぎないといったことで、それは気づかせると同時にまた避けられている。この場面だけだと判り難いですが、親戚一同それぞれの性格の異なりも判る。扇子を開いたり、吐き出されるタバコの煙はまったくそのまんまに見せられる。扇子はこれを開いたお婆さんの性格描写にちょっと関連しそうですが、それでも「あっ、扇子だ。あっ、煙だ。扇子をぱっと開く音っていいな。煙ってこんな風なんだなぁ」と、なんというか即物的に感じるのでも全然おっけーって思います。これらが順繰りにカメラが引くと同時に起きて、カメラの移動撮影にアクセントをもたらすけれど、まぁそこもあまりきっちりタイミングよくさせてないのも狙いでしょう。それで、監督がカメラを意識しないように俳優に演じさせたであろうことは当たり前でしょうが、あまり踊る二人に注目しすぎず、銘々勝手なことをしてくれるように、詰まらなそうな顔でもいいからと指示していることも十二分に想像させること。だから、これが何のシーンか説明するのは、意味が豊かで結構難しい。取りあえず、「聖体拝受の後に、親子で踊る場面。それを見ている親戚一同。」とでも言っておく他ないものです。あくまで取りあえず。でも、そんな説明が一番無難になる。こういう二重性、三重性、四重性と幾つあるか知れませんが、そんな複数性が実はスリリングだったりってなものであります。でも放り込めば良いってものでもない。*2

物語としては、この場面で仲良く父親と踊っていたヒロインが、数年後に同じホテルに父親と来た際には、このように仲良く楽しげに振る舞えなかったということが重要になるのですが、それはわざわざ指摘しなくてもわかるところで、エリセらしいなぁと思わせるのは、もっと正確にはそこらの作品にはあまりないなぁと思わせるのは、踊っている二人にしても、物語の中の父親と娘なのか、それともこれを演じている役者二人の単なる心地よい姿形なのか(子役がきっちり演技しているともちょっと言い難いです。そういう役者を選んでいるだろうことも推測は難くない)、「こうやって踊っている事自体楽しいよね」ということなのか、ここら辺も不分明なところで、最後に親戚一同がみなで手拍子を合わせる場面も、自然な演技なのか、自然な動作なのか、俄に判り難い。その判り難さも狙ったものだろうし、、、宴会が盛り上がるというこの情景は、実に正道なストーリーライン上の出来事でもあります。

なんて書いて行くと切りのないことだったり。カメラが場面をとらえる角度一つとっても、面白いリズムを取ったり、心情描写にしていたり、まぁなんだかんだと解析するとつきないものです。

端的に云うと、「エリセって、スクリーンに映し出されるもの、スピーカーから聴こえるものすべてに意味を持たせる様に気をつかってるなぁ」ですけど、まぁそういうのも具体的な表現あってのことで、端的にそう言ってしまったら、「そりゃそうだ」ってなことに過ぎません。

具体的にどう現れたかと考えると、ぜんぜん違いますよね。複雑さ、丁寧さ、粗さうんぬんかんぬん。繊細さと同様、粗さもうまく使えば素晴らしい要素になる。

同じ様にごちゃごちゃ書いて行くと、切りがないのは、

こちらの場面でも一緒で、端的にはモンタージュの手法で、光の様子から時間の経過を示すものですが、これはこの映画の物語として長い時間ベッドの下に隠れていたヒロインを映すだけのものでなくて、「貴方達も子供の頃、こうやってベッドの下に隠れたことがないですか」とノスタルジーをくすぐるものでもあり、ただ単にヒロインである子役のかわいらしさを映すものでもあり*3、床すれすれの画面がちょっと面白いよねでもあるし、朗読の声/遠くで呼ぶ母の声/女中さんの声とその足音/近くで話しかける母の声/無音/苦悩する父親の杖の音(これが娘へのメッセージ)の音によるドラマも大変緊張感があって、、、

という次第で、「この場面見て、なんかクッションっていいなと思っちゃった」なんて感じることがあったら、それもまた重要な意味の一つだ、、、とそんなことを思うものであります。

*****

大きな物語構造を掴むのは、まぁ掴めないよりもいいのですが、そんなに難しくはない。この作品全体でも同じ事が繰り返されるような円環構造だけど、実は一つ前に進んでいるからどうとか、そういう一見同じ繰り返し構造が、この作品の部分部分にも見いだせるからどうとか、もっと所謂ストーリーに関する事で、背景の一つであるスペイン内乱等々のイデオロギー的対立がどうこうとか、いろいろ言う事はできるのですが、いつでもそういう言葉にできることを切り出して大仰に語るのはなんだなぁと。父の死によって、娘がどうこうの精神分析的解釈などもあれれで、いや実にあれれで。まぁそれはそういう見方をして話しているだけと注意してくれるなら構わないのですが、、、

それでいつも、「あそこいいよね」「ここはどうかな」と断片的に語る人の方をちょっと信頼したりしています。勿論、一個や二個では心もとなくて、経験上、良く見ている人は、いろいろ語り尽きないものと思って居ります。あまり言葉を尽くして語らない人は、「まぁ簡単に言ってしまうと・・・」「あくまで自分が気にしたところだけど・・・」「語弊はあるけれど・・・」と、削ぎ落としたところを十二分に感じさせる言い方をするものだろうと・・・*4 理路整然と語る人に、そこに含みや言い残しが今ひとつ感じられない場合は、大概細かい所を見落としていると思うのですが、まぁこれは私の方が、大雑把にしか見ていない可能性だってあることで、あまりどうこう言えたことではないかも・・・。しかし、それでも敢えて言うと、大きな物語だの構造だのを大仰に説明するものは巷に多いのですが、それって作者は取りあえず物語の落としどころや、作品の安定構造として選んだもので、そんなに正面から語る事かな、、、なんて疑問をもつことがしばしばです。その手の「構造」なんてものは、意外に浅いところにあったりしないかしら。

一つの傑作を成立させるものって、さまざまに扱われる諸要素をどう扱うか、そのバランスというか勘の良さと云う他ないものじゃないかな、、、と思うのですが、これ以上はわたしの愚かさ故で語れません。ちょっとなんだか判らなくなってごめんなさいです。*5

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小説作品で言うと、もう何だって良いのですが、自分が読んだ中で判り易いと思うのが、いままでも何度も推奨しましたが、

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著者: D.H.Lawrence
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アニメーションも当然馬鹿にできたものでなくて、わたしは鶴巻和哉氏という監督さんの作品が大変好きです。鶴巻氏の役割がどこまでどうなのか、成果を一人に帰していいものか判りませんが、

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監督: 鶴巻和哉 出演: 福井裕佳梨, 坂本真綾, 沢城みゆきほか
販売元: バンダイビジュアル

なんてほんと、うまいなぁと。インタビューを読むと、かなり曖昧なままに、様々な要素・小道具をいろいろほうりこんだままに作り進めると聞いて、実に感心しました。鶴巻氏の作品も実にみずみずしくて、エモーショナルで、この人はすごいポップではちゃめちゃで今風なんだけど、それでいて古風で正道な物語をつくるんだよなぁと感心します。

絵コンテ集があります。アニメーションは共同制作なので、鶴巻氏自身が作った絵コンテは一部分ながら、そこに書いてある鶴巻氏自身の言葉と想像される「もっと画面を引いて」とか、「もう少し寄り気味」といった指示、それらがもたらす画面の意味の変化を想像すると、大変面白かったです。

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イラスト・コメント: 鶴巻和哉ほか
出版社: 株式会社ガイナックス

大きな物語の説明って、鶴巻監督が絵コンテに描いたような指示がないと、すっかり作風も変わってしまう・・・そういったことをおよそ無視しているのでは、、、と危うさを感じると言えばいいのか。こういう話は、鑑賞者の解釈を見るより、製作者自身のインタビュー等々を読むのがいいと常々思います。なにを気にして作っているのか、鑑賞者からは出ない細々とした瑣末とか乱雑とでもいいたい諸注意点が面白いものです。なぜ製作者はいわゆる「批評家」のように語らないのかといえば、物語構造のうんたら、基本は神話構造でどーのなんてそんな風にそんなことを考えてるんじゃ作品は作れないってことではないでしょうか。*6

*7

*1:勿論、単線的で、明確なメッセージ色が強いけど、楽しいってものもあるのですが、その場合も、果たしてその明確なメッセージが楽しませているだけかというと、そんなこともないでしょう。じゃ、ごちゃごちゃにすればいいかと言うとそうでもなく、筋書きだけ複雑なものが、決して読後に感じる豊かさを保証しない経験があれば判る様に、なかなか難しいものの様です。

*2:試しにここを完全に左右対称で、皆がいかにも演技して、カットバックで顔アップ気味に連続で映したりしたら、作品の印象も随分異なるのでは?こういう変化が、一つのシークエンスでの映像の印象だけでなく、監督が描きたい人物像も変えてしまい、ストーリー全体が言わんとしていること、雰囲気も変えてしまうだろうって、そう思うのです。何でかは何とも言い難いですが・・・。宮崎駿さんが、素晴らしい作品は、どこでもいいから一シーン見れば全体の善し悪しは判るんだと言っておりますが、これは、その一つの場面作りに実は製作者の思想がいろいろ盛り込まれていて、全体の物語と同等に重要で、もう全体の質を想像させるほど情報が豊かで、全体も部分も切っても切れないものだと教えてくれる言葉と思います。

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著者: 宮崎 駿
出版社: スタジオジブリ

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著者: 宮崎 駿
出版社: 文藝春秋

*3:我々がこの子役がいいなと気づくのでなく、エリセがこの子役の輪廓を即物的に捉えて、素晴らしいものだと提示していると言いましょうか、、、まぁ何と言ってよいかなかなか難しいです。

*4:それをイントネーションだけで見事に表現する人もあったり・・・

*5:襞の襞まで、意味を盛り込んで、コントロールしてなんて思ってしまうものですが、こりゃ見事というくらい「あたしゃ、そこは気にしません」という製作者もあって、それが傑作だったりして、だから豊かである方が良いってものでもないんだな、、、なんていうと、またややこしくなります。

*6:成長や、トラウマ的原因や、さすらって一皮むけて帰還が構造になってしまうのは、当たり前でしょ、そんなの。ひねもすのたりの徒然日記じゃないのなら。

*7:いや、そもそもこういうエントリーを書いたのは、この『トップをねらえ2!』の劇場版がOVA版の第二話を省いていて「ちょっと残念」と書いた文章を読み、、、ちょっとどころか完全に別物で、あれは1.5時間に纏めらんないから「じゃ、ずばっと切って辻褄だけ合わせます」という、まったく実にドライな監督の仕事姿勢が伺えるもんだろ〜とか、これは『トップをねらえ』の続編として最初の作品を見ないとダメって、そんなことはなくて物語構造や画面の構図を形骸的に利用しただけなのはすぐ判るし、DVDの脚本かインタビューでもやっぱりそう言ってるじゃん、、、なんて思ったからで、、、で、第一作のように「努力と根性」ものにしたくないといいながら、登場人物の感情をきちんとつかんでいるから、「努力と根性(+友情)」もののちょっとうるうるなナイーヴなほど優しい話になっているのが、この監督らしいとこだよなぁ、、、なんて思ったり。。。ってな調子で、言葉で判る大きな物語だけ語る人って、ちゃんと見ているのかと少々不安に思ったからです。←好きな作品だからついつい熱くなるというだけ!?