非ネット世代・時代の記憶も保管する

さてさて、先日、津田沼の飲み会で、せがーさんが、

「せるげーさん、せるげーさん、非ネット世代のデジタル化、おれははじめたよっ!」←記憶頼りですが、そんな表現

と、♀2人と歓談中のわたしに向かって、おっしゃるのであります。

「おー、それはそれは!」なんて言いながら、「(何の話!おぢさん、何言ってるの?なんなの!?)」とすっかり忘れてましたが、帰宅後思い出しました。簡単に言いますと、

PCいじらない世代に昔の話をしてもらって、それを記録しておこう。なにもネットにあげなくたって、少なくとも家に保管しておいて、親類縁者に配って置けばいいじゃない

とゆー話です。

それについて書こうと思ったら、丁度せがーさんがこういうエントリーを。

http://d.hatena.ne.jp/segawabiki/20090621/1245588923

われわれの親は、そのまたふた親、祖父母、うまくいけばその上までの話を聞いているものですから、実は結構な時間的広がりを持ちます。私なんかでも残っている高祖父の話から、幕末の状況から、村政、町政はもちろん家政の方迄なかなか考えさせられる話が多い実感があります。

歴史と言うのも教科書のように、はいはい、そうでこうで、白黒きっちり・・・とままならんよな、というのがよく判る。その中での個人の決断や感情があるのが、教科書ともまた違います。記憶は年月とともに、随分あやふやになるということは置いておいて。その心配はあるけど、しっかりした記憶もあるでしょう。作り話は困るけど、いい加減な話も一応記憶してみてもよいのでは・・・

そうでもしないと、みんながみんな明治を歓迎し、官軍は立派で、普通選挙で世の中バラ色になって、戦後は誰それの歌に涙して、ビートルズだけが時代の音楽だった・・・なんて話だけが残ってしまう。そんなこたーない。真知子巻だってせいぜい1〜2%だったという話じゃありませんか!!

高祖父母、曾祖父母までいかなくたって、祖父母までの話でも「えっ、なんで孫のわたしが知っていて、知らないの?」なんてこともあります。

先日も実家で、なんだか戦中の話になって、満州石油の技術者だった祖父が南方勤務になったいきさつやら、スマトラ島での生活の話をしたら、長男の父親も全然知らない。記憶がなまなましくて長らく誰にも話さずにいて、何十年も経って、当時幼少の私にようやく語った事なのかも知れません。

*****

ついでだから、ちょこっと書いておきますと、

当初祖父は満州石油の技術者として、大連を本拠地に仕事をしておりました。ある時、南方に石油発掘の技術者を送るというので、名簿を整理していたそうです。そこに、祖父の友人がやってきて、「いずれソ連は攻めてくる。こんな寒い土地で逃げるのは大変だよ。南方なら、そこらのバナナを食べて逃げられるさ。だから、君の名前を絶対にいれるんだ。」と。「あんまり書け書けというから。わたしも当時は若くてなにも判らなかったけれど、自分の名前を書いたんだよ。あの人は、どうしてあんなことを思いついたんだか。」呑気な人だったので、言う事に従ったそうですが、結局言われた通りの事態。南方行きを祖父にすすめながらも自分は残った友人は、戦争末期に亡くなったそうです。*1

北方に居た頃のことは、冬になるとつるはしを幾らあててもとても穴なんて掘れたもんじゃないとか、あまり、聞いてなかったかな、、、

祖父が死ぬ前は、随分ぼけていましたが、ときどき記憶が戻って、「みんな友人は死んでしまった。人に迷惑を掛けてばかりだった。なんでボクなんかが生き残ったのかなぁ」とさめざめと泣き始めたのを思い出します。きっとその命の恩人も「友人」に入っているのでしょう。わたしがその「友人」の名前を覚えておかなくって、悪い事をしたなと思います。

南方への船では、まーこれが呑気な人で、連日仲間と麻雀をやっていたら、「あいつは遊んでばかり居る」と将校にキレられて、日本刀でおっかけまわされたとか。麻雀はそれをきっかけにやめたとか。←どういう意思決定だ!

それでスマトラ島。石油を掘っても、掘っても、船は沖に出れば、米軍に沈められる。それを見ながら、「何を遣っているか判りゃしないけれど、とりあえず掘ろう」と*2。この仕事が随分難しい井戸を丁寧に仕上げたものだったそうで、戦後何十年か経ってから、アメリカの石油会社に招待されて、表彰されました。「なにはともあれ、敵国のやったことを随分経ってから評価するんだから、大したもんだよ」と。

こんな次第で、戦闘もなく、「人を殺さなくってすんだのは、ほんとうに良かった」と。現地住民にも「迷惑かけてるんだから、偉そうにしちゃ悪いよ。やったことは、全部かえってくるんだから。」と。結構、面白い話があって、大トカゲを食糧にしたらどうなるかなんてことがあったそうで、一匹つかまえてみたものの、さぁ、どうして良いか判らない。そこで、木にくくりつけておくことにした。「すると、いつの間にか、現地の人が集まって来て、笑ってるんだよ。なにをやってるんだかと見てるんだよ。なんで笑うんだいって聞いたら、『そんなことしたって、無駄ですよ』と、何語で話したんだっけかなぁ、そんなこと言うんだよ。やっぱり、朝になったらその通りで、トカゲは逃げてたよ。なんべんか捉まえたけど、いつも逃げられて、結局、あきらめた」などと。ま、こんな人なんで、、、「なんで」といっていいかは兎も角、射撃練習では表彰されていたとか。「あーゆーものは、のんびりしている方が、当たるんだよ」と。

ある時、作業で現地の人を徴収して、行進していると、、、行進なんていっても、並んでぶらぶらとしたいい加減な行進だったそうですが、同じ様にだらしない一団がやってくる。「なんか見た顔だな、、、とお互い遠目で顔を見ていたら、向こうが先に気づいて『おー、○ちゃんじゃないか!』って声かけられて、久しぶりがあんなとこでねぇ。」。ここが私の記憶が定かでないですが、親戚の医者の息子さんだったのか、銀座の文具の伊東屋か、資生堂パーラーの人だったか、なんにせよ知り合いの人で、びっくりしたと。それでその方に、「さすがに行進中は、サーベルくらい抜かないといけないんじゃないの?」なんて言われたけど、お互い「抜いて振り回してもケガするし」とかなんとか。その方も別の島に行って、亡くなったと聞いた様な。

まー、当時の様子を聞いていると、激戦地かどうかで随分事態もかわるものかなと。祖父の話に限らず、世間に聞く事と親類縁者の話は幾分様相が異なります。大体、親戚の事業遣っていた方々なんぞも、最初から「大陸なんてどこでも相手は逃げちゃうんだから、無理だよ。それにアメリカなんて国力考えて、勝てるわけないじゃないか、、、、馬鹿なことを」なんて話はちらほら。家に残っていた曾祖父が「竹槍だなんて、馬鹿なことを」なんて愚痴をもらすと、曾祖母が「お爺さん、そうは言っても、時代が時代ですからね。」ってなだめていたそうな。*3祖父も言ってましたが、「なにかやり方はあったのかも知れないけれど、結局、どうにもできなかったよ」と。

・・・とまぁ、こんな話をしていたら、父親もいろいろ子供時分の話をしだして、、、ひとそれぞれ人生があるものです。*4

*****

こんな程度で終わらないよもやま話はやまほどあって、戦争以外でも、祖父が少年時代に連れられた医者と文学者と実業家の釣り遊びがすごく風流な様子だった話とかなんとか。これがまた呑気なはなしでいずれかの機会に。

母方の祖父母の話も、わたしは直接は昔話を聞いていないけれど、親や伯父に聞いてみれば、幾らでもでてくるものと思います。

ブログにして公開するかどうか、一つのmovementとしてやるかどうかは兎も角*5、寿命という時間は限られていますから、せがーさんの仰る通り、一つ時間を作って、親は勿論、祖父母や親戚を訪ねて、いろいろ記録しておいてみるのは決して悪いこっちゃないと思います。電子ファイルとプリントアウトで、親戚に配ればいいだけのこと。*6

公開し難い話に重要なものがあったりします。これはこれで家族の内にとどめての、大事なknow-howになるかも知れません。*7

*1:実際に、南方が北方に比べて安全だったかどうかは兎も角、祖父は友人の言葉のお陰で生き残れた、、、という話です。

*2:「ちょっと沖に出れば、すぐに沈められて、その様子はこっちは見ているんだから。」と言っていた記憶が、、、

*3:このやり取りは、幼少のわたしの父親が側で聞いていたので、曾祖母も口止めしたのかも知れません。

*4:そうそう、祖父は孫の私のことも、「○○○君」か「○○○さん」で決して、呼びつけにはしなかったものでした。母方もあわせて祖父母はみなそうだったし、私が生前を知っている父方の曾祖母もそうでした。

*5:瀬川さんの例で、ブログとしてあげる事で、なんか交流ができたり、質問が来たりしたら、面倒は面倒だけれども、また面白いことかも。

*6:プリントアウトの用紙は劣化しやすいから、ちょっと考える必要があるかもしれません。

*7:祖父はなんども自分はほんとうに酷い目に遭わずに幸運だったと行っていましたが、同じ南方でも場所によって全然違うのでしょう。水木しげる先生の大傑作。

総員玉砕せよ!! 他  水木しげる漫画大全集 の商品写真  総員玉砕せよ!! 他 水木しげる漫画大全集
著者: 水木 しげる
出版社: 講談社

私は不思議なのですが、例えばこの司馬遼太郎の戦車兵体験談

歴史と視点―私の雑記帖 (新潮文庫) の商品写真  歴史と視点―私の雑記帖 (新潮文庫)
著者: 司馬 遼太郎
出版社: 新潮社

を読んでもなんだかずるずる滅びるだけで、後は野となれ山となれといった雰囲気。散ることばかりが要求される。若き司馬さんもああまりの思考停止ぶりにショックを受けている。要求している方で、散る気がある人なんて随分少数そうですけれど。これ同じ敗戦国とは言え、ドイツのこういうものを読むと、

泥まみれの虎―宮崎駿の妄想ノート 大型本 の商品写真  泥まみれの虎―宮崎駿の妄想ノート 大型本
著作: 宮崎駿
出版社: 大日本絵画

ティーガー戦車隊〈上〉―第502重戦車大隊オットー・カリウス回顧録 の商品写真  ティーガー戦車隊〈上〉―第502重戦車大隊オットー・カリウス回顧録
著者: オットー・カリウス
出版社: 大日本絵画

なんか前向きですよね。ドイツ側もナチスに近くなるとタナトス発動するようです。
どうも日本の悪しき大人は、ものごとがややこしくなったり、価値観を問われると、すぐに「青臭い!処世議論だ!」などと思考停止になる。そんで自分は飲み屋いって、ママ〜。
以前、エリート青年将校がとある決起を行なったドキュメントで、インタビューに答えていたのですが、「わたしもよくよく考えたのだ・・・ここで終わっては男がすたる、と」。こういうことも唖然としたのですが、それが日本の一般人の考え方なんでしょうか。そんなんじゃなにやっても危ういと思われる。