動物行動学が人間理解にかなり具体的に役立つ・・・って思った時の話。いつも通り、ゆるいけれど。。。

外見を美しく保ちたいと思う、そういう思いは心のことだから内面の美しさだ。

「・・・って、福山さんが言ってたもん!」

という女の子が居て、女子に皮肉で返すのは、後が怖いから止めて久しいにも関わらず、

「まーねー、そうなのかねー。福山は余計な事言わないで、春先に坂の上で歌ってりゃ〜、いーんだよ」by 口元のゆがんだ笑い(grin)。

とやってしまい、その後、その子は30分は機嫌が悪かったのでした・・・

「ネガティブな人、嫌い」。彼氏でもない男に、そんな余計な事を言われたら、怒るのも無理ないものです。*1

別の女子の話で、もっと若い頃ですが、

「あの男の子、気づいた? いーよね。」

「なにが?」

「袖にボタンが7つ付いてる」

「???」

「(ニマ〜)」

「一個取れたら、ちょっと魅力的じゃなくなるのか?十個ついていたら泊めてやるとか?」

と言って、怒られたこともありました。若気の至りです。でも、わたしが言われる前からボタンの数を把握して、しかも、「イケテル!」って感じていたら、違う根深い問題があるように思います。。。

*****

冒頭の話に戻って、とは言え本心では、まー、そーいやー、そーだろーけど、服でも、化粧でも、モデル歩きでも、絵文字でも何でも、所詮は中身と関係ないことだろう、、、そこまで理屈こねないと内面につながらないってのが、どうかね、、、という感想でした。

では、外見と中身ってものはきっちりと分けて、中身を持ち上げればいいかというと、そうでもないのがご存知の通り、難しいところ。外見と中身って、心と肉体などと一緒で − すごく簡単な例なら、病気の時に弱気になり、雨の日に気が重いというようなもので − 実はつながっている部分が多い。

このあたりの話は、

http://d.hatena.ne.jp/sergejO/20080803/1217693541

で、おすすめしたスピノザを読むといろいろ面白いことだったりします。

しかし、まー見た目を余り気にしすぎるのも、、、そうやって取り繕ったもので、誰の承認を得たいのか、十把一絡げに誉められても、誉めてる人がどんな人かよく考えたら、果たして嬉しいものか。。。孔子だって、巧言令色鮮矣仁っていってるしー!!なんて、ついつい思うものですが、「では、みっともなくていいのか?」と言われれば、そうとも言えず、なかなか難しい。。。

大勢に認められるが経済的に有利ってことはあります。ありますが、何事も、バランス感覚とか、複眼だとか、まーいろいろ必要なのだなぁ。。。← ややこしい話なので書きながら放棄している

しかし、その子の魅力も、中身から出ているし、見た目はいーんだから、気にしなくていいと思うのですが、、、そう言って、なだめましたとも・・・ ほんとうにそうだけど、そう誉める人が居ないのか、どうなのか。ま、あまり言えばうぬぼれになりますね。

*****

で、ちょっと話を変えて、流行というものは。。。

次から次へ流行る流行って、「わたしたちは仲間」という確認行為かも知れないよな、、、なんてへ理屈こねて考えたりします。

こんな言い方をすると、言語コミュニケーションのない動物の行動って、ある種の人間の行動パターンを考えるに良い方法って思う方もあるでしょう。ちょっと飛躍しましたか?

この問題については、先だってもおすすめした

精神の生態学 の商品写真  精神の生態学
著者: グレゴリー・ベイトソン 翻訳: 佐藤良明
出版社: 新思索社

余力があったらこちらも

精神と自然 ― 生きた世界の認識論 の商品写真  精神と自然 ― 生きた世界の認識論
著者: グレゴリー・ベイトソン 翻訳: 佐藤良明
出版社: 新思索社

読まれると面白いと思います。その中の話を一つ思い出すと、なんで犬がかみ合って遊ぶ時に、それがどうして時には喧嘩に至るのか?どうやって、これは遊びですってお互い認識するのか?なんてことから、いろいろ考察をすすめるものがある。動物には、否定詞 not がないんだってことが、考察のキーになる、、、というと、ちょっと上の話にかぶります。大体、否定 not A する為には、Aというものの輪郭がはっきりしてないといけない、、、

ベイトソンの話も、20年、30年前のものだから、最近の研究だとどこまでOKで、どこまで否定されるべきものだか、私にはよく判りませんが、今読んでも大変刺激的で、読み手の考え・ものの見方を揺り動かすのは事実かと思います。

・・・ベイトソンはくどいほどおすすめしておりますが、「図書館で見かけたら、ぜひ読んでね!」ってことであります。元は理系の方で、父親も昆虫学者。その点が、人文思想系でありながら、ひと味違うものになってます。一つ一つの文章なり、論文なりは、ほんとに中学生でも読めるほど難しくないのもよいところです。

*****

いつぞや、NHKで京大の類人猿の研究について特集していたのですが、その研究の発端には大戦の痛恨の経験があって、「どうして人が争うのか。まず類人猿の社会を見て考えよう」という思いがあったのだとか。

経済問題による争いの説明から、一般的な集団の盛衰のパターンから、いろいろ判ったことはあるような気がしますが、どうなんでしょう? 私も追っかけてないから、まったく門外漢ですが、日頃見聞きする限りでは、「結構ゴリラの社会も人間らしい」なんて程度の話はあっても、「これこれこういうことが、人間社会のどれそれの理解に具体的に役立つ」ってフィードバックがあった話は寡聞にして聞き及んで居りません。

そのドキュメントでうつしだされたゴリラの行動は、言語に頼らない場合の人間の行動パターンを考えるにちょー役立つな〜と感心したものでした。「だから、言語的に返しても、無駄なんだなぁ、、、」とほとほと感心。

それを見ながら、随分前に家で飼っていたチャボの番のことを思いだして、その行動がまーほんとに立派な男女のコミュニケーションと一緒過ぎて、「かなりの人間の行動なんて、ほんとどーぶつと変わらんのかもなぁ」と思った日を思い出したり。。。

*1:おんなって、じぶんはまわりをとやかく言うくせに、じぶんが否定されるの嫌いなんだ、ほんとっ、、、、って、独り言で、しかも、本心じゃないです!!