心と体 その2

Pedro De Alcantara著 The Alexander Technique: A Skill for LifeのAmazonの商品頁を開くさて、前回すっかり電波を飛ばしたのですが、アレクサンダーテクニークを8回受けたことでなにが起きたかの概要を話しましょう。これが体験者の私の元々の状態が左右するもので、わたしのおばかさん具合で、先生の指導は変わりますし、私の感じる変化も変わるので、誰でもこうなるものではないことはご注意くださいませ。

レッスンそのもの:

最初は、三回でよかろうと思ってましたが、結局、八回のコースを受けました。

前回書いた通り、寝っ転がって、やわらかく関節動かしてもらったり、立ったり座ったり。まったく立ったり、座ったり、歩いたり。ほんとにそれだけと言えば、それだけです。立ってる時も、先生が手で「頭を下げずにこっちですよ〜」「肩が前にでてますよね〜」「腰と股関節は位置が違いますよ〜」なんて、(あんまり)口に出さずに手で促してくれます。

そんななんじゃこりゃな内容ですが、レッスン前は、1)まずは立ったときの姿勢はこう、2)座るときはここを使え、3)脱力法・・・と、how to形式でドンドコ進むのかと予想してましたが、そんなことは全然なし。ゆるゆるゆると「それ、前回やったのに・・・」という感じ。

私が受けたアレクサンダーテクニークの講師の方は、http://www.littlesounds.com/の方です。あまり言葉で説明せずというスタイルでした。こういうところは、それぞれの講師である程度差があるようですが、「なんでこういうやり方をするのか?」から、こっちはいろいろ考えさせられ、無理を言って、「先生、こういう動きは?」とかなんとか引き出そうとしたり、厄介な生徒だったかも知れません。

それで、最初は「こりゃいい。体をラクにできる」と思ったのが、その内、「なんだか無駄なことをしているなぁ」と感じ、結局、最後の第八回ですっかり合点がいきました。

レッスン内容では、わたしに取っては、「なにもしない手」という先生との簡単な組み体操の練習が言わば啓示的でした。これで昨日書いた“習い事”との共通点がずばっと判って、あーらーらーと。そんな次第で、これまた前回書いた通りに、“習い事”でまったく同じことを言われていたのに、まったく勘違いしていたと気づいた次第。

・・・とまぁ、読んだ方にはさっぱりな内容ですが、あいまいなようであいまいでなく、精密なようでやっぱりあいまいで、でも精密で、という不思議な内容です。いずれにせよ、すぴりちゆあるで微妙にオカルトな戯言とは一切関係なく、一言でいうなら、やっぱり、やってることは体の使い方なんだよとしておきたいと思います。(それが必然的に、考えの方にも関連するのがまたなんなのですが)

レッスンを通じて感じた変化:

1)まずは体がばらばらになった感じがしました。

2)次に、自分の体の癖に感じ易くなりました。それがどんなことかと言うと、

・顔がちょっと右にずれているとか

・座った時に正面の方向がずれているとか

・知らず左足を無駄に軸として使っているとか

・左足は特に上に押し出す癖があるとか

・体を中心にまとめて、下に落としているとか

・肩を無駄な時に上げているとか

・上半身が前がかりとか、

・全体的に横から見ると「う」の字だなぁとか

・なんにおいても手をベターとおいてしまう癖があるとか

・・・こういったことは、今後もいろいろ増えたり、同じ気づきがもっと微細になって行くんだろうと思います。レッスンを通じて、なにがラクな状態なのかなんとなく感覚がつかめるのは良いことと思います。*1

3)三回目で実はハタと大きな変化があって、「これはすごい!」と、“習い事”の方の動きを試したら実にラク。おーーー!っと思っていたら、それは数日で失われました。

4)で、そっからは言葉の探求に入り、どつぼにはまってどっぴんしゃん。これは考え方の癖の方の調整に向いたってことでしょう。先生の発する言葉はなんなのか、質問でつついたりしながら、あれこれ考え、動き自体はかなり悪くなった時期でもありますが、自分に取っては、今思えばまぁ重要な過程だったのでしょう。

5)それで、なんだか判らなくなったのですが、七回目で、いままでの私の“習い事”について、先生と話したり、実技を幾つか試すことにしてみました。すると、先生が「なにもしない手」というトレーニングがありますよ、と。やってみると、“習い事”のお師匠さまと動きの質が似ている。

それで一週間いろいろ考えた挙げ句に(そういえば、この時、体動かさずに考えました)、八回目で今一度何もしない手やなんやといろいろやってもらい、非常に納得するものがあって、ニヤリと、まぁこんな感じです。

いまは、“習い事”のお師匠さんも、アレクサンダーテクニークの先生も仰っていた、日々の一挙手一投足がレッスンになるという言葉が、実感をもって感じられる。それで十分だなと。*2

*****

さて、かくなる次第で、上のもろもろについては、そのアレクサンダーテクニークの先生が書かれているところがございまして、

http://www.slowbusiness.org/article.php/200807_ishii_alex

http://blog.livedoor.jp/littlesounds/archives/2009-04.html#20090421

まったくここに集約されています。

これレッスンを受ける前に読んだら、「判っているよそんなの」と思ったことでしょう。

いま読むと、「実にそうなんだなぁ」と。

・・・と判った様なことを言って居りますが、あくまで自分で考えて、納得した限りの話であります。*3 *4

*1:2016年某日注:アレキサンダー・テクニークに限らないことで、よくこの手の練習で、指導者側がやってすぐに「どう?なにを感じた?」と聞くけれど、敏感な人はいいけれど、そうでない人は、そんなすぐ答えられないものではないでしょうか。私なんぞ、数日やり続けて、やっとなにか感じたりなんてことはしょっちゅうです。
反応がいい演技をしないといけないなと「空気を読んでしまう」人も多いような気がします。
変化が起きるであろう動きをやって、「もし何か感じることがでてきたら、書き留めて、教えて下さい」くらいがよさそうに思います。「段々慣れて来たら、ここやあそこの様子を感じながらやりましょう」とか。
そういう気付きも、最初に感じたことよりも、しばらくやって何度も出て来る想いが、その人のその段階の気付きでありましょう。

*2:2016年某日注:なにか答えを貰うのではなくて、いままでできたと思うか、できないからしらないと諦めたいた自分を、良い方向に改善する道に載せた・・・ということが大事なんですね。特定の答えを探す態度どうのこうのも、本を読めばわかった気がしますが、自分が気付かないところでも、そんなことをやっていることにどう気付くかが問題で、だから難しい。
みな自分のわかったとこだけ見て、わかったとやるものです。

*3:いつぞや書きました http://d.hatena.ne.jp/sergejO/20090204/1233680318 の話と非常に関連があるんじゃないか、、、とそんな気がしてます。

*4:冒頭に写真がある書籍は、前回の記事に埋め込んだのと同じペドロ・デ・アルカンタラの別の著作です。彼の著作ならこちらの方が好きかな・・・薄いですし。邦訳もあります。

実践アレクサンダー・テクニーク――自分を生かす技術 の商品写真  実践アレクサンダー・テクニーク――自分を生かす技術
著者: ペドロ・デ・アルカンタラ
出版社: 春秋社

でも、やはりアレクサンダー自身の著作か、彼に直接習った弟子の著作を読む方をおすすめしたい。邦訳はあまりないのですが、、、例えば、

アレクサンダーと私―〈アレクサンダー・テクニーク〉への道 (からだの冒険こころの冒険) の商品写真  アレクサンダーと私―〈アレクサンダー・テクニーク〉への道 (からだの冒険こころの冒険)
著者: ルーリー・ウェストフェルト
出版社: 壮神社

Walter Carringtonの対談本なども邦訳があればいいのですが・・・
直接習った弟子達もいろいろ疑問を持つことがあるのに、現代のコーチ連はあっさり自明なものと説明するけれど、どうなんでしょう。
また、アレクサンダーテクニークだけが、楽で軽くて早い動き、自然なすーっとした姿勢、内観などを言ったわけではないことにもご注意を。みな自分の流派だけとやるのは、知識経験の限界や商売上の都合やなんやかやがあります。ヨガはヨガで似たようなことを、日本なら武術は武術で似たようなことをやります。

剣の精神誌―無住心剣術の系譜と思想 (ちくま学芸文庫)  の商品写真  剣の精神誌―無住心剣術の系譜と思想 (ちくま学芸文庫)
著者: 甲野 善紀
出版社: 筑摩書房

中国は中国でやはり体全身の協調がどうこう、力じゃない、とかなんとか。バレエだってそうでしょう。持ち上げは自分で持ち上げ出なくて、持ち上がるような全身の使い方なんでしょう。
それぞれ思想的には根っこは一緒で、説明や実際の練習法はやはり一長一短、それぞれ得意分野がある、というところでしょうか。
そうはいっても、アレクサンダーさん自身の著作がこういう問題について、まったく皆目検討もつかないところから、改善の一歩を踏み出す変化について、非常にうまく記述したのは確かで、ありがたいことと思います。