新旧露都旅行記第六日 - Pushkin 夏の宮殿

また寒くなったので、再開します。

2月X6日 聖彼得堡三日目

朝9:30よりJ女史手配の車でPushkin宮殿を訪ぬ。道程小一時間許り也。

正門にてguideのOlgaに会へと、門前に外套を纏う婦人確かに独り在る。Olga女史、四十過ぎの陽気な人物也。大層な待合室に通され、暫し此処で待たれよと。急遽xxxxxxの二人とやらも同行と成り、斯様な厚遇を得た由。

Pushkin 夏の宮殿

Hermitageが華やかさに慣れ、心持ちに写真を撮る余裕も持てり。此処Pushkinの愛らしさも言葉を重ねる迄も無からん。Olgaの説明に曰く、大戦中軍事施設として利用せし独ソ両軍、各々に数度に亘り爆破したるが為、甚大なる被害を被った由。

xxx xxxxから来た其のxxxxxxの御陰で、修復作業を見る幸運も得る。作業手順に就き様々説明を受く。

Pushkin 夏の宮殿での修復作業の様子

Olgaに何処からの来客の多かれと訪ぬれば、米国、日本、また独国を主とする欧州各国の旅客が多かるべしと。内国人では、特に学童の見学も数多在り。年寄も目立ち、概ね婦人の連れ歩く。係員、修復作業の職人、修復に従事せる美術学校生の殆どが婦人也。

大黒屋光太夫、エカチェリーナ二世謁見の間

館内付属の土産物屋で、女店員吾に数語を放つ。Olgaに意を問うて礼を返す。

露国勤労者に於ける男女比は、凡そ半々との事。雪掻き作業員、門番、taxi他の運転手には男子を見る事の多し。屋内の業務であれば、女子がほとんどと見ゆ。力仕事と言へども、道端で少々雪を掻く程度であれば、老婆が従事せる事も屡なり。

午餐 於Stavaya Bashnya。夏の離宮から車で十分程の小料亭也。

レストラン:Stavaya Bashnya外観

ザウアークラウトと鴨のsoup、ストロガノフを取る。このsoupも素朴で旨し。具は、ザウアークラウト、鴨肉、薄切りの人参、大蒜、バターなるか。店内は狭く、食卓は四席のみ。席を数えても十余名を迎えるに足りるのみ。是で商売がどう成立つのか不明也。一時間余を過し、客も吾一人也。

レストラン:Stavaya Bashnya内装

露国滞在も五日目也。食事は旨く、見物も楽しく、街並は美しく、女人に麗人も多く、旅をするには誠に愉快な土地也。troubleを様々予想してが、知友の手配もあってか、些かの不便も無く安逸に過ごせり。此れで露語に長けて居れば、全く案ずる処も無からん。機会が在れば、住まばやと思ふ土地也。住めば諸事困難も生ぜん。

市内に戻りて、Hermitage再訪。ブリューゲルクラナッハ、晩年のレンブラント印象派各人の作品を探す。1890年以降のCezanneの名品の数点展示有り。Goghの良い物も幾つか。一つ一つと丁寧に楽しむには此処に住む他無からん。

Cezanne晩年の作を見て後、隣室の数多のMatisseやPiccassoに接す。簡便にパターン化されて居るからこそ、大量に製作を為し得たものと感ぜらる。Cezanneは左に非ず、景色の前で新たに選び取られた線であり色であると感ず。

Devainなんぞ当にcopyで、Kandinskyにも左程感心せず。



其の絵を前にして、我々に新しい物の見方が開かれるか否か。自意識許りが見えては面白からず。彼等の色や線が幾ら精妙であろうと、作家の個性が目立っては面白からず。描いているものについて、なにも伝わらず。比ぶれば、Holbeinのデッサンは遥かにinspiring也。

GoetheとNietzcheの胸像に会ふ。

ゲーテ
ニーチェ

Cezanneの作品は概して風景画を好む。Hermitageの展示物では何よりもTje Banks of the Marne(A Villa of the Bank of a river)1888が傑作也。次にThe Smoker, 1890-92を推す。

Hermitageで薦める名品は、此の二点のCezanneの他に、Cranach也。

Lucas Cranach, the elder(1472-1553), the Virgin and the child under an Apple Tree、今一つは題字を見つけらざれども、「窓辺の娘」とでも呼べよう作品。

17時を回る。出口を求め乍彷徨い、偶然孔雀の間に入る。人だかりに思い出せば、週に一度孔雀の置時計が動く時間也。梟が首を廻らし、孔雀が尾を広げ反転、その後、鶏が妙な声で啼く。孔雀が羽を開けば、方々から手が伸び、皆々盛んに写真を撮りたり。此のからくり時計は普段は止められ、毎週一度係りが起動さする物也。機械が止まれば、朴訥そうな痩せた係員の言葉に露人客から笑い声の挙がりたり。

エルミタージュ美術館にあった黄金の馬車

美術館を後に、ネフスキー通りを歩き、Hotel E.の辺りで左に折れ、I通りの土産物屋へ。同店手伝いの邦人Y女史今日は休日なれど、無理を言ひて出て来て貰ひたり。昨日同様店の端から端へと見て廻る。17時半より買い物を始め、すっかり散財したもので支払いを終える頃には20時を過ぎた。St.Petersburg Philharmonieのコンサートは諦めたり。

友人連の土産物を兼ねた小さなリトグラフを数十枚。白樺の皮細工少々。飾り箱を二つ。一つはパーリャ製なる、絵の立派なもの。一つはホールィ製の小さなもの。伝統的ファベルジェの製法を再現せる卵形の首飾りの玉が余りに魅力的で、幾分高かれども飾りの細かい物を二つ。また安い一色の首飾りで、白と淡桃色を二つ。他に大きなものでは、ZubkovとMihailkovの絵を一点ずつ。

買い物途中、店から差し出された赤色のリキュールが気に入りたり。ラズベリーなるか、クランベリーなるか、甘い上品な味わい也。土産に買って帰らめ。

店主の倅とやら、今流行のだらしない長髪に袖の長いニット、是又流行の作業服然とした幅広のズボン。店内を猫背気味にウロついては始終携帯電話で話し居れり。