日常生活をよりよく考えるために − ヴィトゲンシュタインの1944年の手紙から

いつぞやおすすめしたレイ・ マンクによるヴィトゲンシュタインの伝記について、再び。

ヴィトゲンシュタインは、19C末頃はオーストリアの大富豪の末子として生まれた哲学者。口笛がうまかったそうです。工学を学んでいましたが、興味は哲学に移り、ケンブリッジに留学して、ムーアやラッセルに学びました(所謂師弟関係とは随分違いますが、、、)。人生を試そうと第一次大戦に志願して従軍、戦中にまとめた『論理哲学論考』が現代哲学の一大金字塔となり、以後は哲学はもう要らないと田舎教師に転身。しかし、ケインズによってケンブリッジに招かれ、晩年の大著『哲学的探求』に連なる思索を進め、第二次大戦中ではオーストリアに残った家族の救助に奔走し、また消防団でも活躍。趣味は、探偵小説と大衆娯楽映画、、、

人生というものも、こう並べてぱっと見てしまうと奇抜さも薄れますが、この伝記は、ヴィトゲンシュタインの日記や手紙を多数引用し、時々の哲学的思索の断片を見せながらも、よりその心情ないしは想いに分け入ったのが素晴らしいところ。

ヴィトゲンシュタインの哲学は、論理を巡るものであっても、ただただ浮世離れに抽象的で、読書好きが読書の世界にだけ遊ぶ類いの哲学ではない。だからと言って、勿論、それは自分探しの哲学などでもない。ではどんなものか − これは下手に纏めるよりも、各自がこの伝記なり、ヴィトゲンシュタインの書籍をあたって、思い思いに描いた方が良いことかと思います。

この伝記から感心した場面を引き出すと枚挙に暇がなくなりますが、本日は第二次大戦中の話を一つ。

大戦初期、どうも39年か40年の頃だそうですが、時のイギリス政府が敵国要人の暗殺計画を企てたとの新聞記事が出て、ヴィトゲンシュタインがそれもありえると言ったところ、弟子のマルコムが反論。マルコム曰く、イギリス人の国民性を考えれば、そんなことはないのだ、と。ヴィトゲンシュタインは生来の短気も手伝って、そんな言葉に、怒りをぶちまけて絶交になります。

何故、それほどまでに腹を立てたのか。

ヴィトゲンシュタインは、数年後の44年、マルコム宛に手紙を出して、その説明を試みます。

I then thoght...what is the use of philosophy if all that it does for you is enable you to talk with some plausibility about some abstruse questions of logic, etc., & if it does not improve your thinking about the important questions of everyday life, if it does not make you more conscientious than any...journalist in the use of DANGEROUS phrases such people use for their own ends.

You see, I know that it's difficult to think well about 'certainty', 'probability', 'perception', etc. But it is, if possible, still more difficult to think , or try to think, realy honestly about your life & other people's lives. And the trouble is that thinking about these things is not thrilling, but often downright nasty. And when it's nasty, then it's most important.

伝記『Wittgenstein: Duty』 p.474-475

以下、試訳。英語でしか読んで居らず、拙訳となって相済みません。

僕が考えていたのは、こんなことなんだ。君が哲学を学んでも、論理や何だのの難解な問題について、ちょっとした妥当性をもって話せるようになるだけで、日常生活の重大な疑問を考える際に何の改善もないのだとしたら、一体哲学に何の効用があるのだろうかと。ましてや、とある目論見を持って、危険な文句を玩ぶジャーナリストなんぞよりも、君を誠実たらしめることがないならば。

もちろん、「確実性」やら、「蓋然性」やら、「知覚」なんてことをしっかりと考えるのは難しいことだ。でも、君自身の、そして、他の様々な人々の人生について、ほんとうに正直に考えること、せめて考えようとしてみることは、果たしてそんなことが出来るか知らないけれど、ずっと難しいことなんだ。厄介なのは、そういったことを考えるのが、面白くもなくって、いや、時にはまったく下劣であること。でも、下劣であるからこそ、もっとも重要なことなんだ。

当たり前と言えば、当たり前のことで、一読判ったつもりになりますが、実践するのは甚だ別のことだと思わざるを得ません。本書は、人文思想系をあまりお読みにならない方にも、伝記の体裁もあって、読み進め易い書籍と思います。

ぜひ、お手にどうぞ。

原書は英語で二種類。

Ludwig Wittgenstein: The Duty of Genius の商品写真  Ludwig Wittgenstein: The Duty of Genius
著者: Ray Monk
出版社: Vintage

私は上のVintage版を買いましたが、洋書には中身は同じだけれどペンギン・ブック版もあります。
為替で価格に差が出るのかな・・・なんにせよ安い方でどうぞ。

邦訳はあるけれど高いです。大事な問題を扱っていながら、中学生でも読めるほどの書き方で、しかも面白いのに勿体ないです。

ウィトゲンシュタイン 天才の責務 1 の商品写真  ウィトゲンシュタイン 天才の責務 1
著者: レイ・モンク
出版社: みすず書房

ウィトゲンシュタイン 天才の責務 2 の商品写真  ウィトゲンシュタイン 天才の責務 2
著者: レイ・モンク
出版社: みすず書房

では!

p.s.:別の場所から引用したこちらの記事もどうぞ
Within their circle they are clever enough. But − Wittgensteinの日記から
http://d.hatena.ne.jp/sergejO/20080529/1212029908