寓話 − 昔話

http://wiredvision.jp/blog/masui/200811/200811211630.html

これ中々面白いですね。こういうものの発展系になるのか全然判りませんが、特定の文字列を伏せ字で表示してくれるソフトがあれば、とっさに人に携帯やら、PCやらの画面を人に見せたい時に、よいかなとおもってしまいました。

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それは兎も角、寓話を一つ。

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実は我が家はそこそこに裕福でした。そうはいっても、大したことはなくて数えても江戸の頭ごろまでたどれる程度の商家で、それでも親戚一同結束よく仲良くやっておりました。

私の父には弟が一人居るのですが、これがちょっと出来が悪いと申しますか、それ以上に性格に難があって、周囲とうまくいかず、やもめで一人暮らしのまま半ば音信不通でした。冠婚葬祭に招いても来ず、ごく稀にやって来たところで格好や話し方はやはり家風になじまず、親戚の間でも自然敬遠されておりました。一度なにかのゲームをやったことがありますが、子供相手に妙に勝負に執着する性質で、私はそれ以来、近づくことをしていません。

その人物が、頻繁に家に出入りするようになったのは、祖父の晩年。やもめ暮らしで、50にもなろうという時に結婚したようですが、どうも相手に連れ子が居るらしい。自分の子だといいますが、よく話を聞けば、結婚した年と子供の年が合いません。それで夫婦と子供五人で家の行事にいつでも押し掛けてくる。

はじめの内は、やっと家族もできて、少しはいろいろ考えるようになったのだろうと考えていましたが、どうもそれだけではない。孫は対等だとか、平等がどうとか、なにかにつけてそんな話をする。祖父が「相続がどうとか、なんだかうるさくて変だぞ」とぼやく声も聞こえてきました。まずいことになるか、と嫌な予感はしましたが、親戚なのだしかわいそうだから、という祖母の声。それを尊重したのが間違いだったのでしょう。他の親戚連中があまり寄り付かなくなったのは、後から聞けば、「ちょっと気味悪かった」からだとか、

祖父母と長男である父親とは別に暮らしておりました。そこがこちらも甘かったのでしょう。祖父が病気で逝った時には、祖母がすっかり懐柔されているという、実にたわけた話です。知らないうちに、祖母を引き連れ回して、おばあちゃん、おばあちゃんとやったもので、どうにもころっとなってしまったそうです。祖父の居ない家をどうするかという話に、祖母はしばらくは独りで良いと言っていたのですが、気づけばすでに父の弟 ー 叔父なんて言葉はつかいたくないので ー の家族が上がり込んでいる。もう、なんと言っても、聞きもしません。あとはご想像にお任せします。祖母が死んだ時には、都合の良い、遺言書ができていた。まぁよくある話です。随分、家産も減りました。代々の品もどこに言ったのでしょう。

こんな話を思い出しても後の祭りなのですが、祖父の葬式で、法律的には私のいとこに当たる子供の一人が言っていたそうです。「おばあちゃんは、いつ死ぬのかな?」。縁戚が聞いて、耳を疑ったけれど、子供の言うことだと気にも止めなかった。けれども、それがその親の日頃の話だったとすれば、なにかつじつまがあうような気が致します。*1

*1:半分ほんとの作り話で、相続でこんな話は幾らでもありますから。「おばあちゃん、いつ死ぬの?」など実話から持って来てます。勿論、「弟」側にも言い分はあるでしょうけれど。