ガッツポーズ論というと大げさだ!

>同胞が檜舞台で勝つのは嬉しいけれど、それだけを楽しみにするのはオリンピックを見る作法としてはつまらないんじゃないという話でした。(http://d.hatena.ne.jp/taknakayama/20080824/p2)

中山さんらしいのだ。それは勿論そう。勝った選手で一夜明けて、「なんかほんとに自分がやったのかわからない」と感想を漏らしていた方もあって、興奮して大喜びした本人でさえそうなんだなと思います。あと、別に同胞ばかりに喜ぶものでもないぞ!同胞が勝つ方が、嬉しいものだけど!

この手の応酬こそ、よくあった「なになに論争」的形式なんだな〜と恥じらいを感じつつ、わざと書いてみるのだっ!*1

「同胞が勝つのをみるだけではないよ」と言ってしまった時点で、話はずれていくのですが、それでも無理矢理話してしまう。。。内心「こういうところをきちんと詰めないで、勝手にお互い長文を書くから論争になるんだ・・・」という戯画のつもり!

元々、拙コメントは、“(通常)スポーツは勝ち負けの発表の場が数時間ないしは数分に凝縮されていて、結果に対して「誰がやったか」が衆目に明らかなところが特色で、これは他の人生では味わえないとつくづく思う。だからこそ、ガッツポーズもでるんだろうな、、、”と思って書いたもの。*2ここが伝わるように書けずに、多分「一緒に感動したい!」といった話と受け取られたのはこちらの未熟さ故!!

とは言え、自分は「勝負事はやっぱり勝たないと!」と単純に思う性分。ここのところが実は中山サンと違うのではと思うものの一つ。くだらない話、大学のゼミ対抗ソフトでも、「メンバーを考えたら、他にピッチャーいなかろう・・・」と思って、一ヶ月前から投げ込みしてしまうほど馬鹿なのです。←ほんとにくだらない、もうちょっとましな事例がないのか!!「たるいよな〜」と言ってたU君が当日普段着の下にジャージの上下。「お前、超やる気じゃん(爆)」「試合やるからには勝ちに行くでしょ、とーぜん(ニヤ〜)」と言っていたのが笑えました。

スポーツは、やっぱり勝つことが、最大にして動かせない目標だと大前提にしている場なのだと思う。長い人生・・・といった話を持ち出すと、それこそドラマ化とまでは言わないけれど、ちょっと文学的過ぎやしまいか。ここで、もう一つ目線が違うのでは・・・と思ったのは、「青春小説を見てしまう」目線と試合の場に於ける連続する動きと判断を見る目線は違うのでは?ということ。*3選手のガッツポーズにこちらが喜ぶのも、試合の場に於ける連続する動きと判断に感心して、そこに個人的な思い入れが加わるからこそ。自分の場合、試合前後については、小説的な人生を見るより、「いつもの練習ってなにしているんだろう、、、」が気になる。

勝つことが大前提といっても、勝った瞬間だけ見ていても面白いとは誰も思わないだろう。だから、サッカー中継でいまだにある、顔映して、ボール映して、ボールを追うとゴールに入っているなんて撮り方はほんとに勘弁して欲しいと思う。ここまで書いてやっとはっきりしたけれど、中山サンが、「そんな勝利のポーズにだけ喜ぶなよ」という言うのは賛成、でも勝ち負けをあまり重要視してなさそーな点、そして、動き方とその際の判断に注目していなさそうなのは、ちょっと自分と違うと思う。*4

最終的な勝ち、そこに至るまでの得点なり防御の動き − 体と頭の動きを見るのがやっぱり一番面白い。そこでこっちもえらく緊張させられたところで、見事になにかが決まれば、大喜び!!それは偶然と必然の混在した儲け物。家で見ていても、外で見ていても、けっこうはしゃいで、机叩いたり、床を踏み鳴らしたり、ビール開けたり、ウィスキー一杯いっきに飲んだり。でも、それでいいんじゃないかなと。どちらかに肩入れしてなければ、こっちも冷静に感心していて喜ばないことも多々。翌日になればこちらも忘れてしまうけれど、何年経っても「あの時のあれはすごかった」と長話になることだってある。

日常の鬱憤を・・・という側面もあるかも知れないけれど、結局、純粋に動きと判断を見ることが多いと思うし、その方が長く記憶に残る。

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さて応酬はここまでで、ガッツポーズの話になるのですが、やや肘を曲げて両手を上に突き上げるガッツポーズばかりでもなく、結構様態はさまざま。集中→弛緩の動きと感じるので、いわゆるガッツポーズでなくても同じものと見ています。

あそこ至るまでの凝縮された集中と終わったという弛緩+「我を見よ!」が見て取れてすごく面白い。体の弛緩だけでなく、頭の弛緩もあって、その時々で同一人物であってもいろいろな表現になるのも面白い。「我を見よ」が全然ない時もあるけれど、難しい試合で喜べなかったり、本人には当然だったりするわけで。。。あれが大なり小なりのクライマックスではあるけれど、その前後のコンテクストあってのクライマックスで、これはいきなりベートーヴェンの5番終楽章の最後聴かされても、そんなに面白くないのと一緒。

弛緩・脱力をキーワードに話を進めてしまいますが、実は今までアルゼンチンのサッカーのメッシをそれほどじっくり見てなかったのですが、この人もほんとうに驚かせてくれた。

頭と体の脱力っぷりたるや素晴らしすぎ。反転が目に見えない動き。あれは素早く蹴って動くのでなく、引いて作る早さと感じた。軸を中心にぐるっとというより、体面が180度反転する感じだけれども、反射神経などを度外視して、ゆっくり動いても方法が違うと思った。大好きなブラジルのロマーリオもあーゆー反転したな〜と思い出しながら、ほれぼれ。

そんでもって、メッシのVTRは、どこかにお探し下さいませ。それを見れば判りますが、得点後の脱力っぷりもすごいけれど、動いている間から、頭と体が脱力しているのもよく判る。

もう一つ、ほれぼれするのが腰が一定で、脚だけでヒタヒタと高速回転で走っているところ。あれはもほんとにすごい、動き回っているシーンでも腰がほとんど一定。。。あれは歩いていたって、そうそう真似できない。スピードや向きを変えるところでは、腰を上下して、一呼吸いれてしまうのが普通だけど、メッシときたら、、、

余談ながら、シュートの正確さや強さが、筋力だけで語られやすいけれど、普段から腰なり軸なりがブレてないこと&体のみならず頭も脱力できていることも重要なのだろう。蹴る前に、筋力でがちっと姿勢を固定するのはやっぱり無理があって、また、それだと体重がボールに載らないのかな、、、と思ったりする。

*1:なので、「いろんな見方があっていーんじゃない」と言ってしまえばそれまでだし、実際そう思っているよ!!

*2:日常の仕事でも、やっぱり「誰がやったか」が明らかな方が、満足が深いと、経験上からもつくづく思う。

*3:負けても美しいというのは、私の場合、負けてもあの動きが美しいということで見ます。最終的に“勝ち”につながるであろう質があるから美しいと思うということ。

*4:でも、多分次回わいわいで話したら、「星野のあの交代はないでしょ〜。あれじゃ、伊良部と心中した日本シリーズと一緒じゃない!」とか、「なんで日本のバッターは上半身手打ちが多いんだ」とか、「やっぱり元々のメンバー選考がおかしいよね」などと、全然青春小説ではない話になるだろうと予想。話が広がりすぎますが、それぞれの書き手にエントリーを書く際のスタイル・書きたいことってのがあるので、あれがまた実物だとか、全てだとか思ってもいけないのら。。。