なにかについて語ると・・・

独り言系。。。なので、いつもに土星なゆるゆるエントリー。

鑑賞とは鑑賞者と鑑賞対象の相互関係から、その間に生まれるものであって、、、、

なんて固い言い方する必要はなくって、なにかについて語るときはいつだって、

「わたしはそう思いました」

が付いている、、、とゆーこと。相手がそう感じることを止めることはできないし、通常むりくり、こっちに首をねじ曲げる必要はないはず。

「わたしはそう思いました」なのだから、聞いている方は、そのものの情報だけでなく、それを語っている人についての情報も聞いている。

当たり前なことなんだけど、実践できているかってのが結構難しい。自分のことは棚上げにするけれど、、、

ので、ので???、、、自分はその人がなにかについて好きといった場合、「具体的にどういう部分、場面?が良かった?」なんてことをまず聴きたがる。

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そのものについて語るから揉めるのかな〜と。

相手と自分は違うのだし、そのものの情報だけでなく、相手を知る行為でもある、、、と思えば、揉めるとは言わずともそんなにすれ違わないかなと。

「xxxは素晴らしい or くだらない!」

という言い方を、

「xxxは素晴らしい or くだらない!と僕は思うんだよね」

としただけで、その後の会話の方向性がかなり変わるような・・・

それでどこそこのポイントがって具体的に聞くだけで、自分とはスタンスは違うけれど、まーそれで納得、、、となるような。特にどっかで自分の評価を決めるきっかけとなった具体的なポイントなど。。。

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以下、蛇足。先日のとある会話

「○○○の最初のシリーズは、ハードSF要素をどうこうで、あーでかーで」
「それは、判るんだけど、それにしては逐一解説コーナー付けたり、あたかもさー、いま初めてやりましたとでも言った。さらっとやってくれれば、なんの問題も無かったんだけど。」
「でも、それがストーリーの骨格を」
「多分、そのSF設定を大げさに取り扱ったから、ストーリーを楽しむのが僕なんかできなかったのかな、なになに要素の持ち込みはさまざまあったけれど、ストーリーの流れがそれででこぼこしちゃって、あんまり上手くないな〜って感じたんだよね、、、SF読んでないでしょ?」
「えっ?」
「SFある程度読み散らかしたら、さらっと出す作法みたいなものに慣れているのかな〜と自分などには思えるけど、、、読んでないでしょ?」
「確かに読んでないけどさ〜〜」
「実はその要素に感心していた人は、あんま昔のSF読んでないのかな〜と思ってた。まー一人のサンプルじゃーということはあるんだけど。」
「じゃあさ、2作目のどこがいいの!?」
「ヒロインが好み第一点、結構古典的な友情物語が好き第二点、曽我兄弟とか好きってあれは友達じゃないけど、第三点、、、って別に順番とか順位はないんだけど、演出がうまかったな〜と。象徴的な演出というか、セリフで説明しない演出と言っていいと思うけれど、あれうまいな〜と実はかなり感心した。例えば、あの場面、この場面(中略)、、、こういうのは映画を散々見たのがベースの判断だと我ながら思うんだけど、、、下手すると思わせぶりになってしまうんだけど、僕はあれはセーフでうまいと思う。思わせぶりかどうかって、結局、制作者の心持ちがでちゃうんだろうと思うんだけどね。」
「・・・いろいろ言ってるけど、ヒロインなんでしょ?」
「(笑)そーかもしんない。最初のシリーズは、まずあの絵柄が受け付けないってのもあるんだよね、、、そーゆーことあるじゃない?新作の方の象徴的演出は実にうまいと思ったよ、あと細部のこだわりのセンスとか、例えば、旧作のこの場面、新作のこの場面、、、新作のさらっとしている感覚が好きかなぁ。話もね、実はうまく一貫しているように取れる。いろんな細部を煮詰めてないからかも知れないけれど、うまくストーリーを引き出せる。それって、制作者の感覚的な判断が正しかったからだと思うんだけど、、、だから、旧作と比較して見るのはダメで、タイトルしか同じじゃない作り方だって、そんなの判るじゃない。でも、ちまたのレビューみると9割5部がた、そういう態度が取れない。あーゆーのは率直に言って判らん。それで似せた構図の場面とか、一番最後の誰それの帰還に感動するって、本来的には間違いだろーなーと。だって、新作の話はすでにその前で終わっているんだから、、、『罪と罰』はわざわざその後の顛末を書いているけれど、『カラマーゾフ』はそれないよね、似たよーなもんだと。根本的には、あらすじを知りたいのか、その後ろのリズムとかなんとかを楽しむのか、そーゆー態度の差とも思うんだよね、、、」*1